VANS DUCT TAPE INVITATIONAL Ericeira, PORTUGAL

VANS DUCT TAPE INVITATIONAL Ericeira, PORTUGAL

 

(Viaggio欧州波文化探訪の途中ですが、先日ポルトガルで初めて開催された求道者ジョエル・チューダーが主催するバンズダクトテープインビテーショナルの模様を急遽お送りいたします)

ポルトガル随一のサーフタウンエリセイラで行なわれたダクトテープ。サーフィン界のカリスマジョエル・チューダーが立ち上げたこのスタイリッシュなイベントもすでに10年を迎えようとしている。男女16名ずつの招待選手のみでヒートは行われ、スタイルを極めた滑りを見せたものが、その栄冠を手にすることができる。

エリセイラのダクトテープ

大会前日、会場ビーチ近くにあるサーフキャンプには続々と招待選手たちがやってきた。バックヤードで行われたオープニングセレモニーではスケボーのコンプリートキットがそれぞれに配られ、みんなで楽しそうに作り上げていた。ビールと地元ポルトガルのワインとピザで乾杯!セレモニーは夜遅くまで続いた。

サーフキャンプのオープニングセレモニー

嵐のため1日順延となった予選が始まった。ヒートの合間にはライブシェイピングやミュージシャンによるライブも行われ、観客たちは大いに盛り上がっていた。スタイルを魅せた選手たちがクオリファイされ、初日のビーチイベントは終了した。夕刻、白と青を基調とした美しい街並みのエリセイラのタウンにあるショップ、マジッククイーバーでサンセットに合わせフィルムイベントが行われた。サーフィンの歴史を振り返ることができる貴重なフィルムにみんな釘付けになっていた。昔は漁村であったこの街では、レストランで新鮮なシーフードがBBQスタイルで地元のワインとともに楽しめる。

ポルトガル ビーチイベントのライブシェイピング

夜も更け翌日に迎えたレディースのファイナルでは安定したノーズライドを決めたブラジルのクロエ・カルモンが、またメンズファイルでは誰よりも長いハングテンで終始MCのジョエルを唸らせていたハワイのカニエラ・スチュワートがそれぞれ栄冠を手にした。

ダクトテープ レディースファイナル ポルトガルのサーフィン レディース サーフタウン・エリセイラでのメンズファイナル

「次の世代に何かを」とインタビューで語ってくれたジョエル。クラシックスタイルの美しさを再びこの世に蘇らせた男の眼差しは、優しくもあり鋭くもあった。こんな素晴らしいイベントを是非日本に、との僕の願いも近々叶えられる日が来るかもしれない。

ジョエル・チューダー主催のバンズダクトテープインビテーショナル

メンズ優勝のカニエラは17歳。今回初のダクトテープ選出となったトシュ・チューダーは14歳。あどけない表情からは想像もできないパフォーマンスを、レイデイとなった初日にスーパーチューボスで見せてくれた。海だけでなくスケボー、ダンス、サッカーゲームと時間も選ばず楽しそうに遊んでいたのが印象的であった。

ダクトテープ優勝のカニエラ

サーフィンにも時代の継承が必要だと、自らの心の内を明かしてくれたジョエル。彼と同じように僕たちにも何か役割があるのかもしれない。子供たちに伝えられる何かが…

FIN

サーフィン界のカリスマが立ち上げたダクトテープ

VANS DUCT TAPE PORTUGAL

詳しくはBlue. vol.78最新号にて…

http://www.blue-mag.com/

Photo: 330photogalleries
Instagram: @330photogalleries

Text:  JUMBO
Instagram: @jumbomax69

Written by Hideki Jumbo Sakakibara
Instagram : @jumbomax69
Wed, 17 July, 2019

Viaggio Vol.6 Athens, GREECE [ギリシャ、アテネ]

Viaggio Vol.6 Athens, GREECE [ギリシャ、アテネ]

 

前回の旅を終え、ヨーロッパの歴史の奥深さに心を打たれた僕は、旅の目的地を選ぶ照準を歴史、年月、歳月に合わせ、次なる場所を絞り出した。オリンピック、パルテノン神殿、西洋文明発祥の地、地中海に浮かぶ美しい島々を数多く所有する古代ギリシャ共和国。東京都の60倍の国土面積に東京の人口にも満たない1000万人くらいの人々が暮らしている。ヨーロッパのルーツを辿り、サーフカルチャーとは無縁である地中海の小国へ、気づけば僕は降り立っていた。

首都アテネの空港から列車に乗り市街地を目指した。波に乗ることができるかどうかは一切確証は無かったが、かさばるサーフボードとウェットスーツを抱えこの国にやってきた。地中海とはいえ海はある、ということは波も立つ可能性がある。わずかな期待を抱き、大きな荷物を抱き、たいそうがっしりとした列車に乗り込んだ。車窓から眺める田園風景はとてものどかなものだった。国は違えどその営みは変わらず、畑を耕し、作物を育て、その恵みをいただくといったシンプルな流れが僕の心を落ち着かせてくれた。数十分ほど揺られると建物の数は一気に増え、アテネ中心部シンタグマ駅に着いた。

ギリシャでのサーフィン

駅の構内には数々の出土品が展示されており、この国の歴史の深さを改めて感じさせられた。ここから地下鉄に乗り換え、さらに奥深くの中心部モナスティラキ駅まで、人混みの中へサーフボードを担ぎ潜り込んでいった。アテネで暮らすローカルたちも、同様にサーフボードを担ぐ僕を、訝しげに見つめている。ミラノの人々とは違い気軽に声を掛けてくる訳では無かったが。。。

アテネでのサーフィン

わずか2駅で目的の場所に着いた。駅構外に出るとそこにはえもいわれぬ絶景が広がっていた。丘の上にそびえ立つアテナイのアクロポリス、パルテノン神殿を中心に数多くの建築物が建てられ神々が祀られている。紀元前438年に建てられたというが、その時代にこんな巨大な神殿を作る技術があっただなんて全く信じられない。高さ10メートル幅2メートルの石柱が46本、その上に装飾が施された屋根がどっしりとのっかっていた。

今までに幾度か補修されてはいるが、技術の無い紀元前にいったいどうやってこんなものが作れたのだろうか。。。しばらく自分の脳力のすべてを駆使し、思いを巡らせてはみたが、完全に理解不可能であった。「深い」この言葉に繋がる何かを持ち合わせた物事に感銘を受ける。そんな年齢になってしまった僕は、この国が非常に心地よく感じられた。

折しも財政危機が騒がれていたギリシャであったが、国内に入るとその危機はさほどではなく、変わらぬ日常を垣間見ることができた。ホテルから市場へと向かう。色とりどりの大地の恵みが、マーケットの表情を豊かにさせる。種類の豊富なオリーブが、ここはヨーロッパだと感じさせてくれる。日本とは違い肉も魚も豪快に売られている。行き交う人々の活気に煽られ、僕のテンションは上がり始めた。

ギリシャへのサーフトリップ

テイスティングで気に入ったオリーブを買い込み、次はサーフパトロールへと向かった。と言っても波がありそうな海ではなく、市内のショップへの調査だ。サーフカルチャーの発達が乏しいこの国では、サーファーの情報もポイントの情報も、あまりインターネットでは見つけられなかった。事前に得た唯一の情報としては、市街にサーフショップが一件あるだけだった。藁にもすがる思いで住所を辿り、とぼとぼ歩いていくとそこはもぬけの殻であった。古びたつぶれた商店があり、サーフショップらしき形跡もない。

途方にくれシンタグマ広場でたたずんでいると、数名のスケーターがセッションを始めた。「これは有力な情報が得られるかも!」と思い声を掛けようとチャンスをうかがっていた。間合いが詰まらないまま時間は流れ、とうとう日が暮れてきた。辺りが暗くなり、互いを認識しづらくなると何故だか大胆な行動に出ることができた。リーダー格らしき人物に歩み寄り、サーフィンに関していろいろ質問を投げかけてみた。答えは「ノー」周りの仲間にも聞いてくれているようだが、プラスになる情報は一切得られなかった。

翌日、手段を変え海岸線をバスでパトロールしてみた。紺碧の海が広がる地中海。その美しさは一級品でヨーロピアンがこぞって訪れるリゾート地。プライベートビーチも多く、アクセスは難航した。数日パトロールを繰り返し、乗れそうな波が見つけられた時には、滞在最終日を迎えていた。午後のフライトの時刻までにミッションを完了しなければ、ギリシャでのサーフィンは皆無となる。足跡を残したく始発の地下鉄でまずは終着駅に着いた。外に出るとまだ吐く息は白く寒さは厳しかった。バスの乗り換え時間まではローカルたちと同様に近くのカフェで朝食を済ませておいた。そうローカルのゲッティングアウトに習いピークを目指していった。乗り込んだバスから見えてくる景色、紺碧の穏やかな海の広がりに、少しずつ白波が混じり始めた。それはしだいに大きくなり、サーファーならわかる乗れる波になってきていた。サーフポイントとしての確証もないままその波だけを見てバスを降りた。ビーチに歩み寄ると確かにできそう、すぐさまウェットに着替えパドルアウトの準備を開始した。

アテネのサーフトリップ

小ぶりな波であったが感慨深いものがあった。これまでの道のり、この国の歴史、今までの自身の経験、すべてが重なりその色は凄味のある艶を放っていた。振り返ると目の前にそびえ立つ豪邸、そこには本物のサーファーが暮らしていると後から話で聞いた。

 

Written by Hideki Jumbo Sakakibara
Instagram : @jumbomax69
Tue, 15 January, 2019

Viaggio Vol.5 Taghazout, MOROCCO [モロッコ、タガズート]

Viaggio Vol.5 Taghazout, MOROCCO [モロッコ、タガズート]

 

滞在中波が一度も訪れなかったバルセロナを離れ空路アフリカ大陸にあるモロッコへと向かった。ここはユーロサーファー憧れの地、海流の冷たい北大西洋を離れ、常夏の海を目指してヨーロッパ各国からサーファーが集まってくる。イスラム教を崇拝するこの国では食事の制限は厳しく、酒は愚か女も禁じられ、その余波は旅人にまで影響をおよぼす。豚肉は一切お目にかかれず、酒にも当然ありつけない。搾りたてのオレンジジュースがいたるところで売られ、タジン鍋とクスクスで日々空腹を満たしていた。

モロッコ料理とサーフトリップ

乾いた大地が広がる大陸北西部の街マラケシュへと僕は降り立った。ヨーロッパ大陸とはガラリと雰囲気が変わり、灼熱の太陽に照らされた赤茶けた土壁の建物がポツリポツリと姿を現した。海とは反対に進路を東に取り、険しい道のりのアトラス山脈を走破した。そして砂漠までの中継基地となるワルザザードに停泊することとなった。

サハラへ向かう道のり

無計画な旅の始まりは我々を内地サハラへと誘った。レンタカーを運転していると突然1人の男に引き止められ、窓越しに彼が声を掛けてきた。「俺をワルザザードまで連れてってくれ」「そうすれば砂漠に連れてってやるから」と… ありもしないこの奇妙な話に興味を持ち、悩んだあげくに彼の思いを叶えてあげることにした。

現地人のおもてなし

目的地に着くと彼は、彼の叔父を紹介してくれ、立派な建物の奥の奥の部屋に招き入れ、ミントティーで丁重におもてなしを受けた。簡単に自己紹介を済ませ話を続けていくと、驚くことにその叔父が砂漠までの道のりを案内してくれると言う。天候の良い日(砂嵐の少ない日)を選び、サハラ内部へと歩みを進める。激しく揺れる車内から眺める景色は砂、砂、砂。たまに見かける植物が奇跡の産物に思える。。。

モロッコ植物

モロッコの子供達

サハラ砂漠奥地

頼りになるローカルガイドのもと一行は半日ほどかけてサハラ砂漠奥地へとたどり着いた。現地に着くと僕は、すかさず持っていた板についたフィンをプラグを回して外し取り、デューン(英語で砂丘の意)を駆け上がって砂の波をサーフした。サンドウェーブが無限に広がるこのエリア一帯。砂のみで作られる陰影が美しい景色を作り、静寂に包まれた空間は、時折吹く風が砂を舞い上がらせ、かすかな音を奏でていた。単調でゆっくりとした時間が流れている。これは何百年前も何百年後も変わらず続いていくだろう… 今では薄れてしまったこのえも言われぬ心地よい感覚を、また蘇らせたいと思ってしまうほど僕にとっては特別な場所であった。

サハラ砂漠のデューン

タガズートのラクダ

サハラ砂漠を後にし、西の海岸線に向け僕はまた車を走らせた。モロッコ随一のサーフタウンであるアガディール北部にあるタガズート、サーフショップやスクールもあり思ったより発達している。ラクダに揺られ波チェックしていくと沖の方で僅かに波がブレイクしていた。

モロッコのサーフポイント

しばらくの滞在であったが、サイズは上がることなくモロッコの波を堪能することはできなかった。しかしながら食には恵まれ、海岸線ゆえに豊富な海産物が僕の欲求を満たしてくれた。

モロッコの料理その1

モロッコの料理その2

地中海から大西洋に出ても、結局波には恵まれなかったが、異文化に触れ、人の気持ちに揺れ、極地をも体験でき、貴重な話までも聞くことができた。砂漠を案内してくれた彼の叔父は時期が来ると織物を売るため遊牧の旅に出ているそうだ。あのサハラ砂漠をラクダに乗って…

モロッコ、タガズートの旅は続く

次回につづく

Written by Hideki Jumbo Sakakibara
Instagram : @jumbomax69
Wed, 10 October, 2018

Viaggio Vol.4 BARCELONA, SPAIN [スペイン、バルセロナ]

Viaggio Vol.4 BARCELONA, SPAIN [スペイン、バルセロナ]

 

空路イタリアのミラノからスペインのバルセロナへと渡った。数十ユーロのチケットと数時間のフライトで、フランス全土を飛び越えスペイン最東部バルセロナへと着陸した。ガウディの歴史的芸術的建造物をひと目見たく、イタリアからこの地にたどり着いた。街並みはガラリと雰囲気が変わり、人々の表情も少し違うように思えた。

バルセロナの街並み

身にまとう服装もイタリアとは変わり、親しみやすい雰囲気が、服からも表情からも、同じように感じとられた。接する人々は往々にして陽気「アミーゴ」という言葉を巧みに駆使し、僕のパーソナルスペースに迫ってくるのであった。これも決して不快ではなく、むしろ心がほぐれ有難くも感じた。

バルセロナの人々

欧州では一般的なコンパクトな左ハンドルのマニュアル車を借りて、バルセロナの市街を散策する。交通量はかなり多く、たまに現れる坂もとても急なものばかり、借りたての慣れない車では、楽しめるどころか不安が募るばかりであった。坂道発進では後続車がいると途端にテンパリ、都度エンストやふかし過ぎの失態ばかりで、街の交通のリズムを乱していたのであった(恥)

コンパクト車でバルセロナ散策

そうこうしているうちに、どうにかこうにか目的の世界遺産にたどり着くことができた。サグラダファミリア、300年の期間を経て造られようとしている。写真に収まらないほどの大きさで、目を凝らすと細部にまでびっしりと彫刻が施されていた。目の前に現れたその建物も建築計画も、とにかくスケールは壮大のひと言。人生を賭けたプロジェクトどころか何世に渡り受け継がれる重大なミッション。僕の人生設計など本当にちっぽけなものに思えた。。。

サグラダファミリア

丘に登りバルセロナの市街を一望する。曇天のせいかその色彩はくすんで見える。街並みが美しいとされるヨーロッパの中で、ここバルセロナは表現は悪いが、汚れて混み合っているように思えた。丘の上から全体像を捉えると、街の中に時折あらわれる美しい風景とはうって変わって、それは雑然とした僕にとってはあまり魅力を感じない類の景色が眼下に広がっていた。

バルセロナの丘の上から

市街をくまなく眺めていると、怒号のような歓声が僕の耳に届いてきた。遠方からやってくるその音源は街全体を轟かせ、人々のサッカー熱の凄さに再び驚きを覚えた。聞くとスタジアムではFCバルセロナの試合が行われていると、丘の上にいたローカルは誇らしげに教えてくれた。

バルセロナのスタジアム

彼方に見える海岸線、地中海に面するゆえにそこに到達する波の数は限られ、バルセロナのサーファーを常に満足させるには到底いたらない。今回の旅でも僕を満足させてくれる波には最後までありつけなかった。

カタルーニャの郷土料理

それでも人混みにまぎれ街中を闊歩すれば、陽気なローカルたちと触れ合え、カタルーニャの郷土料理を味わえ、荘厳な建造物や、美しくデザインされたモニュメントに数多く出会えた。唯一僕を苦しめたのは左ハンドルマニュアル車での坂の多い運転と縦列駐車だけであった。
次回モロッコへつづく

Written by Hideki Jumbo Sakakibara
Instagram : @jumbomax69
Mon, 18 June, 2018

Viaggio Vol.3 GENOVA, ITALY [イタリア、ジェノバ]

Viaggio Vol.3 GENOVA, ITALY [イタリア、ジェノバ]

 

イタリアは全土が地中海の中にあり、外洋に面している海岸線は国土の中には一切存在しない。「俺たちの海はオーシャンではなく、シーだと」あるイタリア人サーファーは謙遜の意味を込めて言っていた。僕たちの国に例えて考えてみると、地中海は大きな日本海のような感じで、条件が整えばサーフィンができる波が立ち、そう長くは続かない。面積は断然日本海より大きいので、波に乗れる可能性は少しは高くなる。エピックコンディションになる日も数多くあり、あちこちのイタリアの波の写真を見るかぎり、外洋と変わらないくらいの迫力のある波がやってきていた。

湾岸都市ジェノバ

ミラノからレンタカーを借り、海に面している港湾都市ジェノバへと向かった。古くから貿易港として栄えてきたこの街を中心に、サーフポイントは各地に点在する。車で2時間の距離なので、ミラノから多くのサーファーがやってくる。ハイウェイをまっすぐ南へ下り、山間の曲がりくねった道を抜けると、その先に分かれ道がある。僕は無意識にハンドルを切り右に曲がった。ジェノバの西側のエリアに進み、辺りを探索してみようと思った。

イタリアのサービスエリア

途中サービスエリアで休憩を挟み、コーストラインをパトロールした。イタリアのサービスエリアは日本と違って面白い。高速をまたぐ陸橋の階上にレストランやカフェが作られ、上下線からともに階段を登りアクセスできる。もちろんエレベーターもあるが…。カフェでは本場の極上のエスプレッソやカプチーノが、わずか1ユーロちょっとで味わえ、レストランではイタリア料理や本格的なサラダバーが楽しめる。タワーブリッジ式の階上のレストランの座席からは、階下をまたぐハイウェイを駆け抜ける車列が一望できる。このようなサービスエリアの作りは、レース好きな国民性なのからなのか…。食事を終えカフェに寄り、お土産とコンビニの最終コーナーを周回しないと出口のチェッカーフラッグを受けられないのはご愛嬌。いつも何も買わず階段を下り、そそくさとハイウェイの本当のレース場に戻るのであった(笑)。

ジェノバへ向かう途中で食事

海岸線にたどり着くとハイウェイを下り、海が見える一般道を西進した。たまに見える海に波は無く、あってもごくわずかなインサイドのショアブレイクのみで、サーフィンするには少し物足りなかった。半ば諦めかけヨットハーバーのある岬の先端から海岸線を見渡すと、彼方に確かに白波が立っていた。よーく見るとそこにはサーファーらしき姿の物体が2,3いるように思えた。慌ててハンドルを握り、やってきた道を逆に向かい、サーファーがいるであろうその辺りを目指した。

屋根にサーフボードを積んだ車

到着するとそこには、屋根にサーフボードを積んだ車や、海に向かおうとしているサーファーが、僕の心を躍らせた。はやる気持ちを抑え、まずは駐車場所を確保し、海へと足早に歩いて向かった。そこには僕が求めていた波があった。小ぶりながら極上のブレイクをみせる波が…。

ローカルとミラノサーファー

トランクからウェットを取り出し、旅用のサーフボードにフィンを取り付け、久しぶりにワックスを塗るゴリゴリとした音に、高揚感を覚える。春先の海水はまだ冷たく、透き通る濃い青色の海に日本との違いを感じた。ラインナップには何名かのローカルとミラノサーファーが、僕は一番手前に陣取り、こぼれた波をテイクオフしていった。

ジェノバにてテイクオフ

綺麗にブレイクする三角波、夏は海水浴場となるこのビーチだが、沖合にはリーフの棚がありサーフィンに適した波が立つ。何本か乗っていると先人たちに声を掛けられ、僕をラインナップに加えてくれた。

フランクなローカルたち

たまにしか立たない貴重な波だが、ローカルたちは決して焦ってはいなかった。緩いリズムで波をシェアし、「Ciao!」と言って笑顔でその場を去っていった。こんな何気ないやり取りに気を良くして、ランチは海沿いのレストランで白ワインとシーフードグリルで豪華に締めくくった。

素晴らしいビーチ

地中海での初めてのサーフィンは、これ以上ないくらい最高の時間を僕に与えてくれた。そしてこの後このポイントに、足繁く通うのであった。。。

つづく

Written by Hideki Jumbo Sakakibara
Instagram : @jumbomax69
Mon, 14 May, 2018

Viaggio Vol.2 MILANO, ITALY [イタリア、ミラノ]

Viaggio Vol.2 MILANO, ITALY [イタリア、ミラノ]

 

僕のヨーロッパの旅はここイタリアミラノから始まった。プロとしてコンテストのキャリアを終えてから、サーフィンに直接関わりたくて、以前から興味があったウェットスーツのブランドを始めた。服飾デザインが隆盛するこの街では、見かける人それぞれに個性のあるスタイルの服を身に纏っていた。特に老齢の諸先輩方が取り入れる鮮やかな差し色のコーディネートが僕の目に留まった。それも日本の様式とはかなり違い、美しさや格好よさをともなう類のものであった。道行く人、公園のベンチで佇む人、カフェで談笑にふける人々、仲良くデートを楽しむカップル、休日に出掛ける家族。そのどれを取ってもこの法則は当てはまっていた。若くても歳を重ねても、決してお洒落に対しての遊びを忘れない彼らの心意気に、ひどく感銘を受けのであった。

ミラノコレクションを代表とする服飾に関してだけではなく、世界最大規模のインテリアの国際家具見本市(ミラノ・サローネ)も毎年春に行われており、デザインに関してのこだわりは群を抜いているように思える。イタリアは世界遺産の数も一番多い国で、これらすべてを考慮してヨーロッパ発の目的地として僕は選んだ。(ミラノ・サローネは現地に行ってから知りました…笑)

サーフィンに関しては、波の乏しい地中海ジェノバのポイントまで車で2時間とあまり恵まれているとは言えないが、近年都市部のサーファーの数は少しずつ増えてきている。オーストラリア、シドニー発のブランドDEUSのブランチショップもここミラノに居を構えている。

イタリアでのサーフィン

現地に入り、まずは歩いて市街へ散策に出掛けた。石造りの荘厳な建物に敷き詰められた石畳の歩道。街の雰囲気に合わせ革靴で軽快に闊歩するが、雨が降ると滑りやすく気取ってはいられない。旅行者ということもあり、不慣れな土地ではどうしても歩く距離は長くなる。僕が履いている狭く窮屈なイタリア風の革靴は容赦なく足を痛めつけ、以降登場の機会を自ら失っていった。郷に入っては郷に従ったつもりだったが、剛(石畳と革靴の硬さ)には全くもって歯が立たなかった。。。

この地に足を踏み入れ、まず僕が最初に思ったことは「いるだけで何ならカッコよくなったような気がする」周りを見回しても絵になる雰囲気のところが多く、そこにいる人々は総じてその風景に溶け込んでいた。いい波に乗ればサーフィンが上手くなったように感じるのと同様に、ミラノに来れば自分がカッコよくなったように感じるのは、強ち間違いではないようだ。

ミラノのサーフカルチャー

中心部に差し掛かると有名ブランド店が軒を連ね、建物はさらに強固にそして巨大になり、僕の想像をはるかに超えていった。広場を行き交う人々も多種多様。すべてを咀嚼するのにはかなりの時間を要するようになった。ややこしい書き方をしたが、要約するとカフェで休憩がてら、しばらく全体の景色を眺めていたのであった。

イタリア、ミラノのカフェにて

ミラノの食文化も非常に興味深い。朝カフェに入ると出来たてのクロワッサンと本場のカプチーノをカウンターで立って頬張る人々を見かけ、ランチになるとパスタ(生パスタ)に白ワインがサーバーから注がれ、2時間もある昼休みのひと時を優雅に過ごしていた。つかの間の休憩ではエスプレッソに砂糖を入れ一瞬にして流し込み、夜になるとまたワインでコース料理をみんなで賑やかく味わっていた。これらすべての郷にまたもや従ってみたが、どれもが趣深く、ローカルの刻む食のリズムや流れは完全に僕の心を掌握してしまった。以降気取ってこれらの習慣を日々真似ていた(笑)

話は本題(一応サーフィン)に戻るが、サーフボードを持ってミラノの街を歩いていると「何しにミラノに来たんだい」とか「サーフィンなんかできないぞ」とか多くの人に非難というか疑問の声を投げ掛けられた。ミラノではサーフィンはまだあまり一般的ではなく、一部のマニアの間で楽しまれているようだった。それでも車を飛ばし海へ向かうと、少しずつ潮(サーファー)の香りが漂ってくるのであった。。。

地中海の波を求めて

次回、波を求めて地中海へ

Written by Hideki Jumbo Sakakibara
Instagram : @jumbomax69
Fri, 06 April, 2018

Viaggio Vol.1 欧州歴訪

Viaggio Vol.1 欧州歴訪

 

ヨーロッパ、僕がサーフィンを始めて十数年
を経てたどり着いた場所。
ただ波に乗るだけの行為で満たされていた若い頃とは違い、その生い立ちや背景にあるものにも興味を抱くようになった時、ふいに目の前に訪れ、その機会を作ってくれた。

純粋にサーフィンのルーツをたどれば、ハワイ、カリフォルニア、オーストラリアといった場所がまず最初に挙げられる。当然僕の旅はここから始まった。

二十数年前に初めて海岸に打ち寄せる大きな波に押され、気づくとハワイの透きとおる波の表面を滑走していた。導かれるように南半球のオーストラリアに渡り、カリフォルニアのコーストラインをキャンピングカーで縦断したりもした。

波に乗ることと旅に出ることの完全な虜となり、渡航先はさらに増える一方。こんな最高な時間がひとしきり過ぎた頃だった。興味の対象は海から眺められた大自然の素晴らしさから、そこに暮らす人々の営みへと移っていった。

自然が織りなす風景だけではなく、人間が労力を積み重ねてきた物事に対する価値が、とてつもなく大きいものであるように思えた。人類の叡智を結集し、世代を越え年月を費やして築かれるものに、しだいに僕の心は惹かれていった。自身の年齢やサーフィンのキャリアも伴って…

ヨーロッパ歴訪

 

そこで目の前に現れたのがヨーロッパ大陸であった。アメリカもオーストラリアも欧州からの移民で成り立っている。いくらサーフィン先進国とはいえその歴史は浅い。それに対しヨーロッパ諸国は、幾たびも国境を変え、数々の歴史を作り上げてきている。
背景にある重厚な建造物が重ねた年月の深さを如実に物語っている。
長い歴史のある国々で形成されるサーフカルチャーとは一体どんなものなのか?
その疑問の答えを探すべく僕のヨーロッパ歴訪の旅は始まった。

つづく

欧州歴訪

Written by Hideki Jumbo Sakakibara
Fri, 09 March, 2018