From Europe Vol.8 Porto × La Paz

From Europe Vol.8 Porto × La Paz

 

「ポルトはロマンチックな場所に思える」。

その言葉を耳にしたのはリスボンの中心から少し外れた場所にあるレストランで。レストランというより食堂のような雰囲気の店内で、リスボンサーファーにポルトの事を何となしに聞いてみた。すると彼はフットボールのテレビ中継を観ながら、静かにそう言った。

ポルト 港湾都市

 ポルトとは、ポルトガル北部に位置する港湾都市。首都リスボンに次ぐ、ポルトガル第二の都市だが、ポルトガルの国名はポルトに由来するなど国内で古い歴史を誇る都市である。18世紀前後に建築された建物が並ぶ旧市街地は1996年にユネスコ世界遺産に登録された。坂の多い石畳を歩けば、街の至るところに古い建物とアズレージョの絵を目にする。古い建物だけなら正直ヨーロッパではそこまで珍しくないかもしれない。しかしこのアズレージョがあると、ポルトガルであることを感じさせられる。

 古いことわざに「リスボンは享楽、コインブラは歌い、プラガは祈り、そしてポルトは働く」(‘Lisbonne s’amuse, Coimbra chante, Braga prie et Porto travaille’の意訳というポルトガル各都市の性格を言ったものがある。それにならえばポルトは労働の街になるが、今のポルトからは少し想像しがたい。古いだけの建物は文化的なアトリエに再開発され、多かった空き物件(2011年の時点で18.7%の空き家率! ちなみにポルトガル全体で12.5%、リスボンは15.5%の数値だった)はデザイナーズホテルや、小さな作家たちによるプロダクトを扱うコンセプトストア、それにベジタリアンレストランなどへ転用。他ヨーロッパ諸国に比べポルトガル自体物価が安く、日照時間も多い。それにヨーロッパの各都市からポルトまで直行便で飛べ、ロンドンからは2時間半、パリから2時間、マドリッドからは1時間で行ける。週末旅行の感覚である。現に2017年にはWorld Travel Awards「最優秀デスティネーションinヨーロッパ」なるものにも選ばれている。ここ数年で行政の助けもありスピードを持って生まれ変わっているポルトは今、歴史と新しい感性が同居する街として注目されている。特にクリエイターを中心とした活気があり、文化の香りがする。

一番高い場所に建てられたのがポルト大聖堂。そこから見渡すように街が広がっている。

ポルトガル 建物

2018年の今年、FCポルトが5年ぶりポルトガルリーグで優勝! この部屋からはそれを道行く人にも知らせるかのように、ポルトガル音楽を部屋から流していた。

 物作りに携わる人たちを虜にしているポルトだが、実は海も近い。中心地から一番近いMatoshino(マトジーニョ)へは車で15分ほどで行ける。またワインで有名なドゥーロ川を渡って南下すれば、海岸線は10km以上にも及び、それぞれのビーチの名前がついている。ヨーロピアンサーファーがポルトガルへサーフトリップに行く場合、多くは南部へ直行、もしくはリスボンを通って南部かリスボン近辺のサーフポイントへ行くパターンが多く、同じヨーロピアンでもサーファーになるとポルトを知らない事も多い。しかしポルトは歴史的な街並みに、風光明媚なドゥーロ川沿い、そして海が小さな範囲で揃う、勝手よく楽しめる街である。例えば朝サーフィンをし(タイドでサーフ可能か否か決まるが)、昼に中心地へ戻り歴史地区の散策、午後はワイナリー訪問、夜が遅いのでその前に小さなショップやアートスペースを巡り、陽が落ちたら名産のワインを嗜むながら控えめなライトアップのもと魚介料理に舌鼓を打つ。ポルトは少しの移動で場面が大きく切り替わる。少ない滞在時間で存分に楽しめるポテンシャルは大きく、特に時間の貴重さを知る大人サーファーにはオススメのサーフシティといえる。

ポルトガル サーフスポット

ポルトを訪れた11月中旬はすでに冬のうねりが届き、風との相性で海は荒れ模様。ドゥーロ川の河口を挟み、北側がMatosinho 、南側がEspinhoとなる。

 そんなポルトで2012年に産声をあげたのが、EuroSurfStyle内でも取り扱いのあるブランド「La Paz」だ。お店はドゥーロ川から1本入った細い石畳の雰囲気ある通りに構えられ、店内の窓からはドゥーロ川と、川を挟んだ向かい側、ワイナリーが立ち並ぶヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアの様子を眺めることができる。夜になればルイス一世橋のライトアップに始まり、ドゥーロ川沿い一体はオレンジの光に包まれる。雰囲気はより深まり、何かストーリーが生まれるハプニングに見舞われてもおかしくない。リスボンサーファーはそれをロマンチックと形容しているのかもしれない。たまらない空気が醸し出されている場所にあることや、店の佇まいからすでにスタイルを感じられる「La Paz」。そこで今回、ポルトの街や、洋服作り、そしてサーフィンについてまでと「La Paz」に話を聞いてみた。

La Paz サーフ

レストランやお土産物がまだ多いエリアにあるLa Pazはその佇まいから異彩を放っている。通行人が思わずそれに魅かれ、足をとめ店内の様子を探る姿を何度か見た。

どうしてブランドの発祥地にポルトを選んだのでしょうか?

「ポルトは自分たちの街。そこに誇りを持っている。私たちはここで生まれ育った。街はちょうどいい大きさで海までの距離がまた、素晴らしいほどにちょうどいい。海は自然と私たちの生活の一部。もちろん洋服作りのインスピレーションの源でもある」

ここ数年でポルトの街が変わったと聞きますが、変わったところ、そして変わらないところは何でしょうか?

「確かにここ数年で街の様子はかなり変わった。年々観光客は増え、街はよりオープンに、そしてコスモポリタンになっている。文化も育っている。ポルトで味わえるグルメが人を魅了し続けている部分もあるだろう。ポルトは歴史的建造物とストリートカルチャーがうまくミックスされている。そして移動が簡単。ダウンタウンからビーチまでは15分、もしくはそれぐらいでアクセスできる。変わらないのは人。ここにいる人はみんな誠実。どんな人にも親切で、ハッピーな人たちとして知られているよ」

サーファーにとってもポルトは魅力的な街だとローカル視点でも思えますか?

「もちろん。ここには10−15kmの長い海岸線があり、いわばビーチブレイクの宝庫。そのときのコンディションに合わせて場所を選ぶことができる。選択肢の多さは自慢のひとつ。水温は常に冷たいけどね」

—La Pazについてうかがいます。お店でアイテムを手にしたとき、質のよい素材と丁寧な織り、そのクオリティの高さに驚きを覚えました。

「私たちのメインインスピレーションは大西洋、そこにいる人々やトラディション。だから根底にある心がけは快適で、長く持てるプロダクト作り。お客様もトレンドを追う人より自分のスタイルを持っている人に支持されることが多いです」

—“The sea is our Soul”Webサイトにありますが、このSeaは特定の海を指しているのでしょうか?

「このフレーズはちょっとポエムでもある。私たちは海の住人であって、海は常に私たちの内側に存在する。それでいて還る場所は海。そしてまた海から始まる。私たちの魂の中には海がある」

サーフィンについてうかがいます。いつもどこで入ってますか?

Espinho(エスピーニョ)周辺。ポルトの中心地から15km南に下ったビーチ」

頻度はだいたいどのくらいですか?

「それは状況によりけりだけど、春と夏はほぼ毎日サーフィンできる。朝早くに行ったり、仕事が終わったあとに行ったり。夜の10時くらいでもサーフィンします。でも秋と冬は波のサイズが大きくて、これまた変化が激しい。平均すれば週2回は行っているかな? 仕事があり、生活があり、サーフィンに行く。そしてそれが仕事に活きる。ポルトで生まれ育ったことに、誇りを感じずにはいられないよ」

ポルト La Paz

(答えてくれた人)

名前:Jose

ホームブレイク:Praia dos Pescadores (Espinho)。英語でフィッシャーマンの海、という意味のビーチ

愛用サーフボード:Yerxa 5’8” ツインフィン、フィッシュモデル。この板に13年間乗り続けている。今でも、そしてこれからもこの板は乗り続けるだろう

海上がりに食べたいもの:寒い日は温かい魚のスープ、夏は新鮮な魚をグリルしたもの。どちらもドゥーロのおいしい白ワインと合わせて

Written by Michiko Nagashima
Fri, 14 December, 2018

From Europe Vol.7 Saudade of Portugal Surf, Lisbon

From Europe Vol.7 Saudade of Portugal Surf, Lisbon

 

「大航海時代に外国の門戸を開けた。今は自分たちが外国人に開放する番」

答えてくれたのは「Lisbon Crooks and Surfers」(リスボン クルックス アンド サーファーズ、以下リスボンクルックス)。リスボン中心地から少し離れた場所にLX factoryという昔の印刷工場をリノベーションした複合ショップ施設がある。小さなブランドや、味だけでなくインテリアにも気を使った飲食店が多く入居する、リスボンクリエイターたちの集合体。その施設の4階にリスボンクルックスはLX factoryができた当時からアトリエを構える。ハンドシェイプのオリジナルサーフボードや、オリジナルTシャツ、その他グッズなどを作りながらも「自分たちはブランドではない」という彼ら。ちなみにそのアトリエ内にはJumboさんの写真(by 330photo)が飾られていた。去年バルセロナで開催された「SURFCITY FESTIVAL」でブースが隣同士だったことが縁で知り合ったとのこと。Jumboさん、ヨーロッパの行く先々にこのお方の足跡があります。さて、話を戻すとリスボンクルックスのウェブサイト(http://www.lisboncrooksandsurfers.com)からもわかるが、彼らはリスボンエリアはもちろん、昨今のポルトガルサーフ事情をユーモアと風刺たっぷりに表現している。リスボンクルックスは疑問にこう対応してくれた。

リスボンクルックス

− ポルトガルサーファーについて

思ったよりポルトガル人サーファーを見ることができませんでしたが、あなたたちはウェブサイトでこう説明しています。
“In the last 5 years surfing as been growing in popularity not only as a sport but also as the lifestyle it represents”
(※出典 http://www.lisboncrooksandsurfers.com/surf-portugal/ )

そこでサーフィンが生活の一部になっているポルトガル人はどこにいますか? またポルトガルにサーフカルチャーはあるのでしょうか?

「サーフカルチャーはリスボンやポルトなど都市にあるといえるでしょう。(サーフタウンである)サグレス、エリセイラ、ペニシュの場合は、外国人がその一部を担っています。しかしポルトガル人サーファーの数は増えています。ただ私たちは他のスポーツも愛しています。例えばフットボール。私たちのサーフカルチャーは他の国のそれと違います。例をフランスにとるならポルトガルのサーフカルチャーはとても小さく、まだ日が浅い。そして私たちはサーファーである前にオーシャンラバーなのです」

オーシャンラバー

— 南西コースト(アルガーヴエリア)について

南西コーストでは北ヨーロッパナンバーをつけた大型車が多数停車し、彼らは旅行者というより居住者のよう。彼らによるヒッピーコミュニティが存在し、それはサーフカルチャーの1つのようにも思えましたが、ポルトガル人らによるものとは別物。それについてどう思いますか? “ウェルカム”なのでしょうか?

「AlgarveやAlentejo(アレンテージョ、Algarveとリスボンの間のエリア。ここも海岸沿いが自然保護地域になっている)といったエリアは70年代からすでにジャーマンヒッピーがいました。ポルトガルはすべての人を歓迎します。そして長く滞在しているサーファーの彼らはすでにローカルであり、同時に探検家として見なされます。ポルトガル人ローカルと外国人の間にはいいヴァイブスといいエネルギーがある。その理由は同じ目的を持っているから。自由に生き、波を楽しみ、人生に喜びを見いだし、味わうこと。40年前からバンで生活する人やキャンパーたちが到着し始めましたが、確かにここ3年ほどでその人口は増えています。それ自体はノープロブレムです。ただローカルへのリスペクトを忘れず、自分たちのゴミをちゃんと管理するのがベター」

アルガーヴ サーフ

— 外国人に対して寛容

フランスで生活している身からすると、ポルトガル人はとても外国人に対し親切でやさしいと思いました。ポルトガルの人たちは外国人を迎えることに慣れているのでしょうか?

「はい、一般的にポルトガル人はとてもホスピタリティがあり、フレンドリーです。私たちは大航海時代において、いろんな大陸にある諸外国へ最初に到達した人類です。日本にも1540年に到達しました。(今は逆に)全ての人がウェルカム。リスペクトの姿勢を示す限り、ポルトガル人と同じように扱われます。ポルトガルでは誰がどこから来たなど関係なく、訪れた人はみんなリラックスでき、安全で、そして快適に過ごせる国です。私たちポルトガル人はいつも外国に興味があり、そしてどうしてポルトガルに来ることを選んだのか、それが知りたいのです」

ポルトガル サーフィン

— ポルトガルの物作りについて

Made in Europeを掲げる小さなブランドが増えていますが、産地はポルトガルです。そのことからMade in Portugalの小さなブランドに会えることを期待していていましたが、あまり叶いませんでした。工場や技術はあるのに、ローカルブランドが少ないのはなぜでしょうか。そもそも意欲はあるのでしょうか? それともやりたくても難しい理由があるのでしょうか?

「ブランドを作るのは難しい。なぜならポルトガルには十分な資本金がなく、国内マーケットは小さい。だから(作ったとしても)ブランドの成長はあまり見込めません。しかし私たちは優秀な工場を北部にたくさん持っています。状況は今、現在で変わっている最中ともいえますが、私たちの国の経済事情は以前悪い状態のまま。そしてポルトガル人はお金を持っていたら、それはほぼおいしい食べ物とワインに消えてしまいます(笑)」

ポルトガル 料理

— ポルトガル人らしさ、生きがいとは

少ない機会ですがポルトガル人と接触するなかで、あなたたちはとても優しく、自己犠牲の精神を持ち、誠実だと思いました。スタイルやカルチャーは、その時代の風潮が大きく関わっていると思います。そこで、今のポルトガル人の人生観、生きがいを教えてください。例えばフランス人だったら「(どんな手を使おうが)そのときを楽しむこと」です。断然に!

「ポルトガル人の目的はいい人生を送ることです。グッドライフとは友達がいて、愛のある日常を送り、自分たちのしたいことをすること。家族はとても大切な要素の一つ。仕事もそうでお金を稼ぐことはハッピーですが、それ以上に時間の方が大切です。私たちは知っています。ポルトガル人が経済的に裕福になることはないということを。けれど、友情と愛情に満ちた生活を豊かなものとし、そう送れるように日々を過ごしています」

ポルトガル サッカーゴールと板

【答えてくれた人のサーファーとしてのプロフィール】

名前 :ALFREDO
サーフィン歴:30年以上。8歳でボディサーフィンをしたとき、波に恋してしまった。それ以来の付き合いになるけど、未だに学んでいるし毎回恋に落ちている。初めてのときのように。
最近の愛用ボード:浮かびさえすれば全てのボードが愛すべき存在。
海上がり、真っ先に食べたくなるもの:Salty kisses (原文回答ママ)

このやり取りのあと、リスボンで話したあるローカルサーファーのセリフが思い出された。「ポルトガル人はかなしさが大好き! もちろん楽しいことや嬉しいことも大好き。だけどかなしさが大好きなんだ! ファドを聞いて泣く。みんな泣くよ。そうやって自分たちが抱えているかなしさを放出するんだ」。

その内容をにわかには信じられず、その後に会った他の人に聞いたりもした。かなしいことが好きですか? とは聞けなかったが、ファドは実際に聞くサーファーはいた。そしてそれは女性より男性が多い、というか聞くと答えたのは男性のみだった。

ポルトガル サウダージ

総括。サウダージポルトガル

フランス・ビアリッツに戻ってきてからのこと。ここでポルトガルについて行ったことのあるサーファーと意見交換をした。すると彼女はポルトガルの魅力についてこう言った。「ポルトガルには自分の居場所があると思えた。以前ボルドーに住んでいたことがあったけど、そこで自分の居場所は見つけられなかった。同じフランスなのにも関わらず。でもそれがポルトガルではただのトリックなのに居場所を感じたの。不思議。それで好きになった」。

彼女の言葉には全面的に納得できる。他の人も同じ感想を持っている可能性が高い。だからポルトガルにハマってしまうのだろう。

自分の居場所を見つけやすいのは、ポルトガルが外国人に寛容な土地であるということが大きいと思うが、しかしときに“聞かれれば笑顔で応じるが、自分からは求めない”という他者に無関心な様子も受け取れた。またポルトガルにはどこか全体的に“将来の可能性へある程度の見切り”や“昔へのノスタルジー”というムードが漂っているとも感じた。リスボンや、リスボンから上のエリアへ行くと歴史的建造物、中には巨大で立派な世界遺産登録のものが突然現われる。大昔に築かれた栄華は今でも形に残されている。それが昔の栄華と現代の状況を自然と比較させ、ままならない現在に何かの感情を抱くことになるのか…。それはあくまでも妄想の範囲だが、言っている人も実際いるように、ポルトガルやポルトガル人がかなしい、哀愁のようなものを持っているのは感じた。サウダージ。

ポルトガルライフ

しかしそこには暗さがない。それは太陽のおかげかもしれない。空気も乾燥している。湿気を帯びているのは人だけだ。特に男性。ただし、それがポルトガルらしさと言えるのかもしれない。そのポルトガルらしさが今後サーフスタイル、カルチャーへともっとビジュアル化されるようになるとしたら、それは大変興味深い。

長く綴ってしまったが、これはあくまでも今回の旅から出た見解。ポルトガルが実際はどんなところかはみなさん各々が確かめてみてください。サーファーにとって波天国。損はしません。悪天候のときに旅をしてもそう思える希有なところ。ぜひ海沿いをクルマで駆け抜けてみてください。夏場は大混雑、それ以外の時期にも来る人は増え、確かにラッシュ状態のようですが、でもまだスペースは残されています。ポルトガルでは“自分の波”が見つかるはずです。

Written by Michiko Nagashima
Fri, 22 June, 2018

From Europe Vol.6 Surf Point, Portugal

From Europe Vol.6 Surf Point, Portugal

 

ポルトガルへサーフィンしにいく人、次のバカンス先の候補地にリストアップする人、行ったら好きになってフランスに帰ってくる人…。

ビアリッツに住み始めてから6年ほどが経過したが、ここ2−3年の間、まわりの友人知人がこぞってポルトガルに行っている、もしくは興味を巡らせている。

フランス南西部のサーファーにとって、ちょっとサーフトリップで外国へという場合はモロッコが主流だった。もちろんモロッコに行く人は今でもいるが、その数は減り、それに代わるようにしてポルトガルが台頭してきたような流れだ。正確な数を取っていないので、あくまで体感的なものだが。

ポルトガルラッシュが始まった?

フレンチサーファーにとってポルトガルはエアポケット的な存在だったように思われる。波はいいが、水温が低い。それがネックで、ポルトガルに比べれば水温はまだ高く、波もよく、そして歴史的背景から関係が強く、フランス語も通じるモロッコを選んでいたのだろう。しかし言葉は通じてもモロッコはアフリカ大陸の一部で宗教、文化はフランスのそれと違う。そのおかげで旅に出たという感覚は、陸続きのポルトガルより簡単に感じられる。ただし、今はその宗教問題から発せられる治安問題に警戒する人が増えた。そこで今まではスルーしてきたポルトガルにフレンチサーファーが注目し始めたのだ。そう考察するが、これはどちらかというとネガティブな事柄からによる。それでは人気は続かない。リピートしたい人がいるのは何か魅力があるはずだ。

サーファーにとってポルトガルはどんな土地なのだろう。その疑問を持ち、この3月に実際ポルトガルへと行ってみた。

フランスから近いけど遠かったポルトガル。サーフの視点からみてみたい。

旅の期間は約2週間。リスボンでクルマを借り、ポルトガルの海沿いを走り続けることにした。北は冬のビッグウェーブで有名なナザレ、南はポルトガルの最南西端のサグレスまで。その間に様々なポイントに立ち寄ったが、もしナザレとサグレスを直接移動したとする。地図アプリで検索すると距離にして500km弱。時間にして4時間ほど(リスボン近郊の通勤ラッシュをのぞけば、ポルトガルは日本より高速の上限速度が高いため、速く走れる)。そのルートは実際には走っていないが、旅の経験から数値は適正といえる。日本の場合で例えると、距離は違うが時間なら東京—名古屋間。何を言いたいかというと、ポルトガルは南北には長いが小さな国。事前に聞いていた通り、短期間でもいろいろ走り回れた。

しかし残念なことに天気に恵まれなかった。期間中、晴れた日は3-4日程度。それどころか嵐までやってきて、大シケの日が続いたことも。これはポルトガルにとっても異常気象だったそう。だがこの冬場は雨がほとんど降らず、水不足に陥る危険性があったそうで、ポルトガルにとっては恵みの雨といえる。そのせいで海にはあまり入れず、晴れていても強風で面はグシャグシャと、ローカル曰くポルトガル本来の魅力は全く発揮されていないらしいが(苦笑)、それでもこの間に見たポルトガルの海について、各地、各エリアの写真とともに軽く触れていきたい。

リスボン近郊と、南西コーストでは雰囲気が全く違う

■ Ericeira エリセイラ

リスボンより北に向かいクルマで1時間弱。小さな漁師町。30分歩けば、町の地理はある程度把握できる。滞在したときは嵐が到来し、強風&海は大荒れ。外に出るのもままならなかったが、一瞬の晴れ間をついて散策したときの風景は別格。通りはスクラップ&ビルドの最中。これから変貌を遂げていく予感大。国道沿いにはクイックシルバーのポルトガル初となるフラッグシップストア、Boardriders Ericeiraがあり、巨大なスケートパークが完備。カルチャーの香りが嗅ぎ取れた。

エリセイラ

エリセイラの街

Boardriders Ericeira

 

■ Penich ペニシュ

エリセイラを起点に約60km、クルマで1時間ほど北上した岬。3面を海に囲まれ「365日中360日波がある」とはローカル談。WCTの会場もこちら。自分が訪れたときはBaleal(バレアル)というポイントで運良く入水できた。水は覚悟していたより冷たくなく、3×4mmのウエットでOK。個人的にはここ近年で一番いい波に乗れた。海の中では英語をよく耳にし、スクールも英語で何クラスか開催されていた。夕方小さなスーパーに寄ったところ、あるグループが店頭テラスでビールを飲んでいた。肌寒い曇り空のもと、彼らの陽気な雰囲気が印象に残ったが、それはイタリア人グループだった。スクールの先生によると「ペニシュに来るサーファーは多国籍だが昨年はイタリア人が増えた」。近隣情報として、すぐ近くにObidos(オビドス)という城壁に囲まれた古い村があり、観光が楽しめる。またそのエリアはワイン産地でもある。

ペニシュ

ペニシュをドライブ

ペニシュ  オビドス

 

■ Nazare ナザレ

ペニシュからさらに北上、クルマで1時間。名物のビッグウェーブを期待したが、凄まじい強風のためシケっていた。波のサイズは3−4mほど。しかし驚いたことに「大波の名所」を一目見ようと、サーファー以外の観光客がいっぱい詰めかけていた。岬に通じる道はクルマで渋滞し、少し離れたところにある駐車場には大型バスが何台も停車。後から聞いた話だと「冬の日曜日は一般の観光客でも混雑」。ナザレの冬の大波は、もはやサーファーだけのものではない。
近隣情報として、ナザレ近辺にはカステラの原型となったPao de lo (パオ・デ・ロ)の人気店がある。中身が半熟状態でユニークなテクスチャーはペロッと食べられる。素朴な甘さが後を引く。潮風にあたって疲れた身体に効果的。

ナザレ ビッグウェーブに期待

ナザレ

ナザレ Pao de lo

 

■ Cascais カスカイス

リスボンの隣、通勤ラッシュの時間帯を避ければリスボンからクルマで西に30分ほどと、リスボンサーファーのお膝元。(もう一方は運河を挟んだ向かい、Costa da caparicaからCabo Espichelまで約25kmに続く海岸線)うねりと風の向きによって、岬をはさみ湾側か、大西洋側かでポイントを選べる。岬の内側は港になっていて、その港寄りのビーチでインサイドの波を数名のサーファーが乗り合っていた。ローカルによれば「夏は内側は波がなく、大西洋側のGuincho (ギンチョ)というポイントのみがヒット」。カスカイスは海に沿って国道が通り、電車も並走。駅からは波が見える。坂道が多く、キャリア付きの自転車にボードを乗せ、ウエット姿でペダルを漕ぐサーファーの姿を目にした。どこか湘南を思わせる。リゾート地であり高級住宅街である。

カスカイス

カスカイスをドライブ

カスカイスの街並み

 

■ Algarve アルガーヴ

ポルトガルの最西南端岬、Sagres(サグレス)を起点に大西洋側を西海岸、その内側を南海岸と呼ぶようだ。このエリアの海岸線は自然保護地域となっているため、基本的には国道が1本近くを通るのみ。各ビーチへアクセスするには国道と結ばれているローカル道、たいていは信号のない道を行かないと辿り着けない。地図上でみるとポイントは隣同士でも、実際には一度国道に出る必要があるため、ポイント間の移動に時間を要する。波を当てたいなら事前情報の精度が他エリアより重要と感じた。今回5−6カ所のポイントを訪れた。それぞれ特徴は違うが、このエリア全体でいえることがある。それは切り立った崖に囲まれてビーチ、ポイントが存在すること。ゆえにワイルドで自然のパワフルなエネルギーがある。そしてポイント近くの駐車場にはバンや、キャンピングカーが多数停車。ちょっとしたバンの見本市会場になるぐらいだ。ただそういったクルマはほぼポルトガル以外のナンバー。多いのはドイツや、オランダなど北ヨーロッパ圏。駐車場で耳にする言語も英語が多く、北ヨーロッパ人たちがアルガーヴでコミュニティを形成しているよう。前の世代のヒッピー文化をなぞっているような。フランスナンバーのクルマもあったが全体でみると少数。ポルトガルナンバーも人もいたが、ビーチ周辺にいる数でいえば北ヨーロッパ人の方が多いように感じた。

アルガーヴのワイルドな自然

アルガーヴをドライブ

アルガーヴ 車

 

フレンチによるポルトガルラッシュを予測して行ってみたものの、実際そこで目にした多くは北ヨーロピアン。特に自然が保護された、美しいアルガーヴ地方になるとその傾向は顕著。それは今回の旅の発見でもあった。反対にローカルであるポルトガル人サーファーをあまり目にしなかったのはなぜか。2週間も海沿いにいたくせに、ポルトガル人サーファーとは? と聞かれたら正直答えに窮する。コンディションのせいか、時期の問題か、それともただ見落としているだけなのか…。

波乗り天国。しかしローカルの姿はどこ? 現地で生じた新たな疑問

2週間のうち数回した入水できなかったにも関わらず、ポルトガルはサーファーにとって魅力的な国というのがわかった。様々なタイプのビーチ、波が多数にあり、ポイントの選択肢が豊富。個人的にもその数回の中で“自分の波”に出会えたことが大きい。感覚なので説明が難しいが、“自分の波”にはフランスでも、もとい日本でも出会って来ることができなかった気がする(個人差大)。ポルトガルには入り込む隙間がどこかしらある。確かに水温は高くないが、魅力的なサーフデスティネーションだ。

ポルトガルサーファー

それをもってしてこの旅をまとめることもできるが、行ったことで新たな興味、疑問が生じた。それはポルトガル人サーファーについて。いるはずなのに目立たない。サンプル数が少なく、あるだろうポルトガルサーファーのスタイルを、ビジュアルで感じるところまで辿り着けなかった。そこでその興味や疑問を数少ないが、出会えたローカルサーファーのうち、あるグループにぶつけさせてもらった。もう少しお付き合い願いたい。

 

Written by Michiko Nagashima
Thu, 21 June, 2018

Vol.5 Firmamento, La Barceloneta, Spain

Vol.5 Firmamento, La Barceloneta, Spain

スペイン・バルセロナ。

マドリードの次に多くの人口を擁するスペイン第二の都市。バルセロナといえばサグラダ・ファミリアを代表とするガウディなど建築美を堪能できたり、サッカー好きからすればFCバルセロナは外せないだろう。観光の魅力に溢れた都市なのは世界的にも有名だ。

実際に行ってみるとよくわかるが、地中海に面しているバルセロナは海だけでなく山が近い。幹線道路上には多くの木が植えられ、都市でありながら自然も身近に感じることができる。街は坂が多く「迷ったら坂の上が山、下が海と思え」とは最初にこの地を訪ねたときにもらった現地人によるアドバイス。その通りに坂をくだっていくと海に突き当たる。そこはエリア名でいうとLa Barceloneta(ラ・バルセロネータ)。

湾になったところは港となり、それ以外の付近一帯は白砂のビーチが広がる。ビーチ沿いは車道と十分な広さの歩道が整備され、ところどころパームツリーも景観に映り込む。地中海の風を感じながら自転車やスケートボード、ランニングを楽しむ人たちが多い。その姿は見ている側からも爽快で、遺産のあるエリアとは違った、しかし絵になる場所。

少し高い建物からLa Barcelonetaの海岸線を見渡してみる。乾燥した空気が織りなす、原色の水色に藍を少し足したような色の空が広がり、太陽光はジリジリと音がするように強い。それが水面と反射し、上からも下からもと熱量が高い。手入れされた南国。まるで太平洋に浮かぶ、ある島のようにも思える。

しかしそんな錯覚も一瞬ですぐ違いに気づく。整備された道の1本裏に視線を動かせば雰囲気はガラリと変貌。古いアパートが隙間なく立ち並び、アパートとアパートが向かい合わせになった細い道は廊下のよう。少ない日光を奪い合うように、もしくは日光が届くのではないかと信じ込みたいかのように、窓からは洗濯物が干されている。

バロセロナの生活感

 

光と影、楽しむ余裕とたくましい生活感、観光とローカリズム…。La Barcelonetaはその小さな範囲の中で、色々な二面性を持つビーチエリアなのである。

その二面性のコントラストが強過ぎて、本題に入るまでが長くなってしまったが、本サイトEuroSurfStyleで扱われているブランド、Firmamento(フィルマメント)はそのLa Barcelonetaで生み出されている。

ブランドが誕生したのは2013年。バルセロナローカルであるアントンとマークの2人によって始められた。彼らはそれ以前に広告代理業を起こしているなどユニークなキャリアを持っている。

「2010年に代理店業のオフィスをLa Barcelonetaに移転したのは仕事だけの毎日にサーフィンを組み入れたかったから。地中海は波があまり立たない。立つときは限られている。だから余計にそのチャンスを取りこぼしたくなかった。移転して正解。たまりがちだったサーフィンへのフラストレーションは解消され、それに加えて人生への意欲が増した。それは自分たちにとってはサーフィンとより関わるという事で、それが洋服ブランドを始めることに至らせた。そのブランドがFirmamento」。

サーフブランド、フィルマメント
フィルマメントについて

 

2人が最初に始めた広告代理業の名前がFirma(※スペイン語で「署名」の意味)といい、Firmamento(※「晴れた夜空」の意味)という名前はそこから来ている。

Firmamentoについて、オーナーの1人であるマークに質問を投げかけてみた。
—ブランドのコンセプト、服作りをする意図は何ですか?
「私たちの主な目的はまず自分自身に正直であること。それは実際に大したことではありません。
Firmamentoの服作りで大切にしていることは、様々なジャンルとLa Barcelonetaのサーフシーンを結びつけ、ブランド独自のアイテムを作り続けることです。私たちはチームで仕事したり、違うジャンルのプロやメーカーとコラボレーションするのが好きです。新鮮なアイデアを形にする。
生産はバルセロナでの現地生産にこだわりを持っています。それには2つの理由があります。第一にサスティナブルな物作りをしたい。第二に私たちはFirmamentoに携わる人々との関係を密に築き、確立していきたいからです。私たちにとっての“本当の豊かさ”とは、そこにあると思っています。
またすべてのアイテムにはストーリーが欲しいとも思っています。私たちが好きな物には存在する理由があるのです。Firmamento各アイテムのストーリーは私たちがブランドを始めるときに掲げたエンブレム、もしくはアイデアに関わったものが多いです。他には生産プロセスや、コラボしているローカルたちと関連したものの場合も。それがブランドの個性となり、私たち自身にとって正直であり続ける唯一の方法なのです」

—Firmamentoの服作りの基本になっているというLa Barcelonetaのサーフシーン。それはどのようなものですか?

「La Barcelonetaはそもそも漁師地区です。来たことがある人なら、ここがとてもスペシャルな場所であることがわかるでしょう。伝統が愛されながらも同時に毎日何かしら新しい物事が発生している。その特異なキャラクターは私たちFirmamentoのアイテムに多くの影響を与えています。
そしてLa Barcelonetaのサーフシーン。できるときはいつでもサーフィン!そう、私たちのモチベーションは高いです。というのもバルセロナの波事情がそうさせます。実のところ、1年のうち少ししか波は立ちません。それも季節は大抵が冬、それも風の強い日。“サーフ可能”とは地中海では小さな波ですが、楽しむのには十分! (楽しまなければどうして続けることができる!?)
私たちはこのコンディションを避けて語ることはできません。そこからFirmamentoの“Surf Petit”、 “Amateur Surf”、 “Surf off” シリーズが生まれました」

—地元バルセロナ生産へのこだわりや、他ジャンルといえどもコラボレーションはローカルと。地域密着ゆえ、先の展望やその他にも制限が生じることもありえると思われますが、そこまで「メイド・イン・バルセロナ」にこだわるの理由は何ですか?
「まず私たちは独自の工場を持っておらず、アイテムごとに関連した先で生産しています。ですがすべて地元のメーカー。素材についてもバルセロナで作られた綿だったり、生地以外の例えば海洋ロープなどはLa Barcelonetaの老舗ショップから購入したり、その他の不織布も地元生産者によるものです。
Firmamentoを誕生させた当初からある地元生産、できる限りひとつひとつを手作業でという考えは不変です。サスティナブルでエシカル、それは私たちのありたい姿であり、私たちなのです」

フィルマメントのこだわり

 

—最後に日本のファンに一言お願いします。
「良い波! (※オリジナル回答のまま)」

 

■プチコラム
サーファーとして、2人に一問一答
【サーフィン歴は?】
(アントン)幼い頃、兄と一緒にウインドサーフィンを始めました。それからウインドサーフィン用のボードでサーフィンに挑戦したことを今でも覚えています。80年代のボードは全く役に立たなかった…(笑)。しかしそれでも楽しく、素晴らしいひとときでした。そこでサーフィンに対する情熱が着火しました。
(マーク)11年前、アントンは私に電話してきていきなりこう言った。
「おい、今からお前を迎えに行く。今日がお前にとって初サーフィンだ!」。
連れていかれたのは暴雨、強風が吹き荒れる海。悪天候のため空港も閉鎖に追い込まれるような日。それでも危険を意識することなく、海に入っていった私たち…。そのときはアントンを恨んだね(笑)! 今でもその初サーフィン(?)のときについた傷跡が足に残っているよ。

【ホームブレイクはどこ?】
(2人とも)La Barcelonetaのビーチブレイク

【最近の愛用ボードは?】
(アントン) Takayama scorpion.
(マーク) 9′ Custom Longboard Single Fin. Shaper: Pepe Neyra

【お気に入りサーフトリップ先を3つあげるとすれば?】
(2人とも)ボルトガル、モルディブ、カナリア島

【海から上がった後で真っ先に食べたくなるものは?】
(アントン)バジルパスタ
(マーク)リゾット

Written by Michiko Nagashima
Sun, 26 March, 2017

Vol.4 San Sebastian, Spain

Vol.4 San Sebastian, Spain

スペイン、サン・セバスチャン。

この街の名前はサーフスポットとしてよりも“美食の街、バル発祥地、飲んだくれの天国・・・”などといったグルメに関するキャッチコピーの方が一般的には知られているかもしれない。その理由は行ったことのある人ならよくわかるだろう。石畳の路地が残る旧市街、その400m四方に満たないほどのエリアに立ち飲みバル(レストラン併設も多い)が密集する。その数は有に100を超え、繁盛店であれば人が道にまで溢れ出て、軒先でワインをかっくらいながらピンチョスと呼ばれる小皿料理をむさぼり楽しんでいる。
石畳の道と石造りの建物からなる旧市街はひんやりと、チャコールグレー色が強いが、その色がまた酒と美味いものを愛する人たちのほんのり上気した頬の赤みを際立たせる。そこのコントラストから成る雰囲気は独特で、かつ陽気。通りすがるだけでも楽しめる魅力的な雰囲気だ。肝心のバルだが、そこで出されるピンチョスは安くて美味い。ワインも同様だからたまげたものだ。(ただし店選びが肝心!)

少しグルメについて長くなってしまったが、サン・セバスチャンの一般に知られる顔は他にもある。

映画ファンの間では国際映画際の街として。毎年9月の開催時期になるとセレブが海外から招かれ、現地でも話題にのぼる。64回目となった2016年はイーサン・ホーク、ユアン・マクレガーなどがレッドカーペットを歩きファンを賑わせた。また日本から『君の名は』の上映につき、新海誠監督の姿も見えた。

音楽、特にジャズ好きであれば夏のジャズフェスティバルを思い浮かべるかもしれない。会場は海のすぐそばに設営され、聴きに来る人を選ばない。潮風を感じながら子供から大人まで一緒にジャズを楽しめる。2017年には52回目の開催となり、ジャズの街としても歴史がある。

サン・セバスチャンはスペイン北西の人口約18万人(2011年時点)と、ひとつの地方都市でありながらグルメ、映画、音楽といった文化に強く、話題に事欠かない。人を誘う魅力に溢れている。

そもそもサン・セバスチャンが街として発展するきっかけとなったのは19世紀末のこと。ときのスペイン王妃マリア・クリスティーナが海水浴を楽しむ避暑地に選んだことがきっかけとなった。それから1世紀以上を経、今では歴史と新しい文化が入り交じる、小さいが活気のある街としてヨーロッパ内で認識されている。

その新しい文化のひとつにサーフィンがあげられるだろう。

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サン・セバスチャンにはビーチが3つあり、メインのサーフポイントは一番北にあるスリオラビーチ。

「スペイン人サーファーからしてもサン・セバスチャンのスリオラはいいポイントだよ。波は常にあって、クオリティも高い。それに海から上がったらピンチョスも楽しめる。スペイン人は食べること、飲むことが大好きだからそれも込みで素晴らしい場所といえる(笑)。でも1つだけマイナス点がある。それはとても混み合っているということ。ヨーロッパで一番混んでいるサーフスポットのひとつではないかな」

そう教えてくれたのはサーフィンカメラマンのイケール。彼はサン・セバスチャンから少し離れた、ムンダカ(スペインを代表するサーフポイント)から30分ほどの海沿いに家を構える。そのイケールは、サン・セバスチャンで開催されるサーフフィルムに特化した「Surfilmfestibal」のオフィシャルカメラマンだ。それゆえサン・セバスチャンとの縁も強く、かつ客観的な視点を併せ持つ。

「サン・セバスチャンの特徴はサーフポイントと街が近いこと。街中でウエットスーツを着て、ボードを携え裸足で歩くサーファーを見ることは日常。そんな光景を目にできる場所は世界でも数少ないんじゃないかな? サン・セバスチャンのサーフ事情を語るときに街抜きでは話せないよ」

確かに「Surfilmfestibal」のフィルム上映はバルがひしめく旧市街にある映画館で行われる。映画鑑賞の前後、この街を有名たらしめるバルによらないわけがない。

この「Surfilmfestibal」だが毎年6月に開催され、2016年に14回目を迎えた。ヨーロッパで一番古いサーフフィルムの映画祭である。それも実はこの「Surfilmfestibal」とはサン・セバスチャン国際映画祭のエクストリームフィルム部門から派生したものなのだ。アイデアとしては14年以上前からあったといえる。

今ではサーフフィルムの映画祭は世界各地で行われ、アイデアの新しさからその場所ならではの個性を出すことにシフトしている。
しかし、“サーフフィルムだけに特化した映画祭”という発想が誕生したときは斬新で、それがサン・セバスチャンで生まれたのはすでにあった国際映画祭の存在、そしてその近くに波があったからなのだろう。

波と街、その街に根付いた文化。それがサン・セバスチャンでは繋がっている。

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イケールはサン・セバスチャンサーファーのライフスタイルを自分の暮らしと比べてこうみている。

「海、波しかないともいえる自分が住む場所。そことサン・セバスチャンのどちらがいいかと問われたら、サーフィンだけなら自分のところと答える。友達もいて、自分の家族もいる。しかし単身だろうが、家族とだろうが暮らしでみればサン・セバスチャンがよい場所であるのは間違いない。サーフィン以外の楽しみがたくさんあるから。身近なところでライブハウス(リニューアルしたダバダバ)や、映画祭、美術館。もちろんバル巡りも。
街から少し足を伸ばせばバスク文化が色濃く感じられる場所があり、ワインで有名なリオハも日帰り圏内。山登りも気軽に楽しめる。冬はピレネー山脈でスキーだ。遊びの選択肢がたくさん、それだけ家族サービスもたくさんだろうけど(笑)」

2016年は欧州文化首都でもあったサン・セバスチャン。歴史を大切にしながら新しいことに挑戦、取り入れようとする風潮、士気が街全体から感じられる。サン・セバスチャンの文化では新しいジャンルとはいえ、サーフィンをうずまく環境、シーンの変化は感じる。次はサン・セバスチャンのサーフカルチャーについて、もう少し掘り下げます。どうぞまだもう少し、サン・セバスチャンにお付き合いください。

サン・セバスチャンのサーフカルチャー

先ほどまでサン・セバスチャンのサーフカルチャーというより、サン・セバスチャンの街全体の魅力について書かせてもらった。「次はサン・セバスチャンのサーフカルチャーについて、もう少し掘り下げます」と〆たのだが、結論から言わせてもらえるなら…。
 
正直なところサン・セバスチャンのサーフカルチャーを掘り下げ、まとめるのは難題である。お手上げ、とは言いたくないがコレといった答えが出ない、というか見えづらい。

個人的な見解だけかもしれないが、たいていの場合サーファーが行く場所というのはある程度決まっている。それはどの国でもどのエリアでも共通していえることなのではないだろうかと推測。例えば海沿いに何軒かカフェがあるとする。その中でもサーファーが集まるカフェと、そうでないカフェというのは場所が隣同士でも存在しうる。つまり同じエリアに生息していても、遊び方が違えば行く場所が違う。サーファーの場合は特にそれが顕著だとみてきた。だから初めて行く土地でもサーファーが集まる場所というのは、サーファーたちが行き交って発生する“香り”があり、そこからスポットを見つけ出すことができる。例えサーフボードが店の前に立て掛けてあってもそれが本物か、ただの客寄せなのか感じられる人もいるはずで、そういうことである(もちろん、たまに間違えても)。

しかし、ここサン・セバスチャンの場合はそのサーファーたちが行き交うことで発せられる“香り”が非常に分かりづらい。サーファーがいないわけではない。むしろスペインを代表するサーフシティ(シティの中では街の規模はコンパクト)である。最近ではスリオラビーチのあるグロス地区にサーファー向けのゲストハウスもできた。

サーフショップにいけばサーファーがいるのはわかる。ではそれ以外にサーファーが集まる場所はどこなのだろう? 先述したように、サン・セバスチャンにはサーフィン以外にも家から外に出て行きたくなるような場所がたくさんある。むしろたくさんありすぎて散らばっているのだろうか?

サンセバスチャン、ゲストハウス

そこで初心に戻り、ローカルに聞いてみることにした。訪ねたのはサン・セバスチャンをはじめこのエリアを代表するPukasサーフショップ。オリジナルの板もあり年々規模を拡大させ、数ヶ月前にはインターナショナルブランドのHurleyと組んで新しく「サーフクラブ」もオープンさせた。ショップから今やひとつのサーフコミュニティを形成している。

「サーフカルチャー……。サーフというよりサン・セバスチャンにカルチャー自体はある。特別なもので映画祭、Jazzフェスティバル、日常ではバル巡り。サーフィンした後にバルで一杯やるのはサンセバらしく、ならではのカルチャーじゃない?」。そう言いながらオススメのバルまで教えてくれたイランツさん。その場にいたクラブ員のサーファーにまでオススメのバルを聞いたり、確かめたりして親切に答えてくれた。

確かにバル巡りはサン・セバスチャンの醍醐味で立派なカルチャー。しかしそれはすでに知られたもので、こちらはそこに“サーフ”をつけて何かいいたい。

サーファーおすすめバル

もう1軒、スリオラビーチの奥にあるパタゴニアストアを訪ねてみた。対応してくれたのはディエゴさんもこんな調子。
「サンセバでサーフカルチャーが感じられる場所…。そもそもサーフカルチャーがこの場所にあるかどうか、うまくいえないな。それを知るには実際に住んでみればいいじゃないか? ここはいい場所だよ」

掴みづらい答え。しかしときにその世界にいる人より、外側から見ている人の方がわかる場合がある。

そう信じて質問の内容を「サーファーがよく遊びに行く場所」と変えてみた。するとおもしろい会話の流れに。

「よく遊びに行ったり顔を出したりというのはダバダバ。ライブだけじゃなく、コーヒーを飲みに行くだけでもいい。行くと何かしら刺激があるから」。

このダバダバとはイケールさんも言っていたライブハウス。ただこのダバダバは複数の人の手で運営されているが、その中にサーファーは一人もいない。サーフポイントまで歩いて行ける距離にありながら。

それをディエゴさんに問うと「確かに言っていることは理解できる。自分も海外へサーフトリップをしてきてサーファーが行く、好むスポットがあるというのはわかる。それにサーファーとそれ以外の人たちが交わって遊ぶことはあるけど、頻繁ではないのも賛同できる。ただここサン・セバスチャンはバスクなんだ」

サンセバスチャンのパタゴニアスタッフ

バスク。

この言葉に枕詞をつけるなら“良くも悪くも”だろう。 

日本でも10年以上前に“バスクブーム”があったと聞いたことがある。バスクについて知識のある方も多いと思うが改めて説明すると、バスクとはビスケー湾沿い、ピレネー山脈の上下エリアから成っていたひとつの“国”であり、現在はその領土がスペインとフランスにまたがっている。それゆえフランスのことを北バスク、スペインのことを南バスクとよぶバスク人もいる。バスク人の歴史は古いとされ、先史時代から存在していたという説もあるが、今のところその起源はまだ解明されていない。しかしバスク人が現代社会まで存続しているのは確かで、昨今はむしろバスク意識が強く、パスポートはスペインでも「自分はバスク人だ」という人に出会うことは珍しくない。

自分たちの出自がはっきり分からないのに、何がそこまでバスク人としての意識を高めているのだろうか。それはバスク語の存在が大きいのだろう。バスク語とは基本アルファベットだが、読み方、文の構成は他のラテン語とは全くの別もの。それどころか我々の日本語に近い、というバスク人も多い。そのバスク語は公用語にもなっていて、サン・セバスチャンの街を歩くと標識がスペイン語とバスク語の両方で表記されていることからもよくわかるだろう。またバスク語で授業が行われる学校も多く、10歳以下のお子さんを持つ家庭ではスペイン語+バスク語で授業が行われる学校に通わせるのが主流のように思える。さらにプレスクールではバスク語のみの学校に通わせる親も。実際に去年の夏、バスク語しか(まだ)話せない3歳の男のコにサン・セバスチャンのスケートパークで会ったことがある。それは少し極端かもしれないが、それだけバスク人であることの誇り、民族意識は強い。

それはきっとサーファーにもあてはまるのだろう。ディエゴさんが言うようにサーファー以前にバスク人なのである。サン・セバスチャンのサーフカルチャーについて延べるなら、それ以前にバスクカルチャーを語らなければいけない。ベースは常にバスクカルチャーにある。しかしそのバスクについてもっと語るには莫大な文字数が必要となるのでここでは割愛させていただく。

ただこんな見方もある。「サーフカルチャー」と求めているものは既に頭の中で想定されたものであり、どこかで「サーフカルチャー」とはこういうものであるべき、という概念で固められてしまっているのかもしれない。

その概念に当てはまらないのでみえないと主張しているだけであり、もしかしたらバスクカルチャー、それもサーファーたちがその中にいるのだから、それがサン・セバスチャンの今のサーフカルチャーとなるのかもしれない。

そうなってくるとやはりバスクカルチャーをひも解きたくなってくるが、しかしこのテーマこそが難解で、政治に関わるデリケートな部分をも含んでくる。誰も本質や、本音については簡単に口を割らない。

 

Written by Michiko Nagashima
Tue, 10 January, 2017

Vol.3 Reality of Surfer in France

Vol.3 Reality of Surfer in France

「平日の朝は子供を学校へ送りがてら出勤。夕方になれば仕事は終わるから、波次第でそれからサーフィンして帰宅。週末はもちろんサーフィン。ただし寒くなるこれからの時期はサーフィンだけじゃない。スノーボードも楽しめる。近場のスキー場なら車で2時間もかからず行けるから、午前中はピレネー山脈でスノーボードをし、午後はビアリッツに戻ってサーフィンを楽しむ。同じ日に場所と板を変えて遊ぶのも、ビアリッツサーファーの週末スタイルの一つ」。

そう教えてくれたのはビアリッツの街中でアパレル関連の店を営むマチューさん42歳。

「ビアリッツに住むサーファーはどんなライフスタイルを送っているのか? いつサーフィンをしているのか?」という問いに対しての答えである。

典型的なパターンを教えてくれたが、シンプルに答えると「仕事以外の時間に波があればいつでもサーフィン」するのがビアリッツサーファーのスタイルであるらしい。
アフター5サーフが可能なのは残業をしないフランス人らしいが、ときにはランチタイムまでサーフィンするらしい。

「お昼休憩が2時間あるからね。波があればランチを5分で済ませ海へ直行。昨日もそうだったよ。できるときにやっとかないと」。

ビアリッツは海と職場、職場と家、家と海、これらの移動距離はそれぞれ10分〜15分と近く、サーファーにとって有利な立地条件である。しかしそれを差し置いたとしても波があるときにサーフィンに行くことができる、許されるその環境は贅沢だ。

ビアリッツサーファー

ビアリッツサーファーのマチューさん。ビアリッツの街中でアパレル関連の店を営んでいる。

 

フランスでも40歳前後といえば当然家庭を持つ人が多い。いくら波次第の生活でも家族と過ごす時間、バランスはどう取っているのだろう? そもそもビアリッツに住む大人のサーファーとは、どんな人たちなのだろうか。

マチューさんとの会話は続く。

「そうだね、大きく3つのタイプに分けられると思う。1番多いのは生まれも育ちもビアリッツで、そのままここで仕事をして家庭を持つ人たち。2番目は他の場所や都市からの移住組。例えばパリからの移住組なんて、けっこういるね。都会で十分な稼ぎは得られる反面、その生活に嫌気が差し、子供を育てるなら自然や海のそばがいいと考える人が実行に移してやってくる。その場合、仕事はビアリッツで見つけたり起業したり。3番目はその都会での仕事をキープしながら、メインの住まいをビアリッツに移すタイプ。平日は都会で仕事をし、週末はビアリッツで過ごすいわゆるデュアルライフを送る人たち。週末しかサーフィンできないが、ビアリッツは小さな町で満足のいく仕事がなかなか見つからないというのも現実だからね」

ちなみにマチューさんは2番目の移住者タイプに当てはまる。子供は3人。この数は多めに入る。

「週末のサーフィンには子供も連れて行っちゃう。小さなサーフボード、子供用ウエットスーツを用意してサーフィンを一緒に楽しむ。まだ一人で乗れないから教えながら。その時間は自分の好きなことを子供に伝える、親子ならではのふれあいタイムでもある。……って言えばパートナーへの聞こえもいいでしょ♪」。

仕事も家庭も持ちながらサーフィンにかける時間も十分に取れ、さらにサーフィンと家族サービスも同時にこなしてしまう。マチューさんの場合は時間があるだけではなく、時間のやりくりも上手い。ある意味、プロの大人サーファー。

「フランス人の生活は仕事がメインではなく、趣味を楽しめる時間がある。そこは日本の人からするとフランス、そしてヨーロッパが憧れられる環境であるのはよくわかる」

こう言うマチューさん、実はこの1年以内に初めて日本へ出張で行き、そのときにちゃっかり? いやしっかり?かサーフィンをしてきた。

「湘南で入ったよ。波はビアリッツより小さく、人はビアリッツより多かったけど。でも雰囲気は湘南の方がいい。自分たちはあきらかに日本人ではないのに、肩身の狭い思いというかローカリズムは感じられなかった。むしろピースフルな雰囲気。ビアリッツの方が湘南に比べると海の中は殺伐としているよ。日本人の方がサーフィンにかけられる時間は少ないからその分貴重なはずなのに。おかしいな、我々♪」

ビアリッツの特徴として夏はバカンスで来る人が多く、また波自体も小さいのでローカリズムは強くないが、夏以外の時期は確かに海の中で見る顔は大抵同じだ。

それにはビアリッツの波のコンディションが影響していると思われる。
まず水温は年間を通して低い。カリフォルニアまでとはいかないが、日本の湘南よりは低く、ウエットスーツを脱げるのも真夏の2週間ほど。それでも朝晩は必要なときが多々ある。波も夏を過ぎると大きなうねりが届き始め、秋冬は楽しむというより修行の場になりうる。春になるとサイズは落ち着くがピレネー山脈からの雪解け水が流れ込み、その冷たさは想像以上! ゆえにビアリッツサーファーはタフな人が多く、フィジカル・メンタル両面でタフさを持ち合わせていないと続かない、そこに楽しみを見い出せないのだ。

ビアリッツサーファーたち

 

最後にビアリッツサーファーのキャラクターについてマチューさんが自身の考えを述べてくれた。

「フランス人は趣味にかける時間に恵まれている。でも趣味のないフランス人だってもちろんいる。そういう人は家にいて……何をしているのかな?(笑) でもビアリッツにいる人、わざわざ移住してきた人はサーフィンという趣味にかける情熱を持ち、その熱量も強い。年を重ねるごとに社会人として、家庭人としての責任は増えるけど、一方で若いマインドは保ったまま。きれいに言えば少年の心を持った大人、ってところかな。」

仕事も家庭もあり、サーフィンを楽しむ時間も持つ。ただビアリッツでのサーフィンはリラックス、メロウというよりスポーツ、ハードな面が強い。それを楽しみながらこなしていくのがビアリッツサーファーの今のようだ。

そう思えば海ではサーファーがよく何かしら愚痴っている姿を見るのは日常だが、みなどこか嬉しそうだ。

ここの人たちはエネルギーに溢れている。

Written by Michiko Nagashima
Sat, 05 November, 2016

Vol.2 Biarritz , french surfing capital

Vol.2 Biarritz , french surfing capital

It was in summer 1956 that the first surfboard appeared in Biarritz – France ! : located in the south west of France on the atlantic coast , this small town with eccentric architecture happened to be the host of Hollywood screenwriter Peter Viertel in charge of filming Ernest Hemingway’s novel : The sun also rises ! In summer 1955 , Peter sent by his producer Darryl Zanuck from 20th Century Fox came checking the Basque Country and choose the luxurious Hotel du Palais as a base for his explorations . situated at Grande Plage beach , the location reminded him from Malibu in California with some perfect waves to surf but there was no surfer in France yet ! So the following year , with Peter’s advise , when back in Biarritz , Richard Zanuck the producer’s son took a surfboard in his luggage ! As soon as his dad heard about the surfboard , he ordered his son to fly back to California ! Peter had never surfed in his life but loved bodysurfing , so he thought of testing his surfing abilities . He walked from the hotel to the beach on a day where the waves were a bit big . He asked the local lifeguards if he could go for a surf : the lifeguards had never seen a surfboard before , and so the told Peter to be careful with swimmers . Peter now followed by the curious lifeguards tried to go out in the surf but didn’t succeed , he had never heard that you need to wax a surfboard so that you don’t slip on the deck …. Some of the lifeguards tried too but nobody could stay on the board !!! That was the first test of surfing in Biarritz ! Some of the lifeguards told him to make a test in Cote des Basques where the waves were more gentle , so , now the word has spread out that some american wanted to walk on the waves . Some of these french beachgoers had seen footage of surfing in theaters and were very curious about testing a surfboard . The day Peter came to Cote des Basques he became surrounded by some of these french …, he tried again but as there was no wax , he didn’t succeed staying on the board again and even lost his board in the rocks and got it damaged ! As he had to go to work he let the surfboard to local engineer Mr Hennebute so that he could fix it ! Monsieur Hennebute fixed it and thought of using some bee wax that french cooks used for jam preserves as a wax to spread on the surfboard … and it worked … and a bunch of french people tested the surfboard and became surf addicts right away .

Cote des Basques was the place where surfing became popular : these curious french guys didn’t know anything about the materials used to build surfboards so they went their own way . Some being engineers like Monsieur Barland went researching on foam and fiberglass and resin , some like Monsieur Rott who was carving wood tested the wood way , and after years of experimenting and testing Barland and Rott got together and created « Barland/Rott surfboard « business in 1958 . Dozen of surfers were sharing surfboards in Cote des Basques . In 1958 , the «  attaché d’ambassade «  from the Peruvian Embassy in Paris , Monsieur Carlos Dogny came for a visit in Biarritz and fell in love with the place and the waves . As he had been taught surfing by Duke Kahanamoku himself in Hawaii in the late thirties , Carlos has organized with his polo friends a surfclub called Waikiki surfclub in Miraflores – Perou . Being fluent in french from a french father , he was a very wealthy playboy . He offers to help create the first surfclub in France with the name Waikiki surfclub so that links be created with both surf clubs . The Waikiki became the first official club ever in France with a gym and a meeting place as well as a room with racks for these heavy longboards in the «  établissement de bains «  on the beach of Cote des Basques in the heart of Biarritz !

And surfing bloomed in France as some surfing contests started with the help of Jo Moraiz who started a few years later in 1965 the first surf shop ! and then in 1966 the first surf school !

By word of mouth , Californian surfers started to show up in Biarritz , surf Cote des Basques , and enjoy «  the steak house «  at night . Both americans enlisted in the american army and based in Germany and americans running away from the enlisting in Vietnam were meeting in Biarritz .

As for us young french surfers a new culture was right in front of our eyes with the arrival of a new way of life , a new code of dressing : before that nobody had ever seen T shirts as well as jeans . These long haired kids from America were in our face : a new world was happening and we were the first in France and Europe to be part of it , but it took a very long time for people around to understand !

International World surfers of the 60’s started to incorporate Biarritz in their surfing agenda as part of a traveling mode incorporating Spain , as well as Portugal and even Morocco . Very famous international surfers such as Nat Young ( World Champion ) , Mark Martinson ( shaper ) , Bill Hamilton , Miki Dora showed the way as they came again and again to surf Biarritz waves and started to explore north and south ! A few movies such as «  A life in the sun ( 1966 ) «  , « Evolution ( 1969 ) « , Waves of change ( 1970 ) «  , brought more traveling surfers to our shores !

The World Amateur Surfing Championships in 1980 at Grande Plage in Biarritz confirmed the popularity of surfing with french and international media . The contest scene went on with the ASP events of the World Pro Tour with short boarders . And then the long boarders took over with Robert Rabagny who organized the Biarritz Surf Festival in Cote des Basques !

Surf riders have been the most populars travelers in Biarritz since ! Surfers come from California as well as Germany or Sweden to ride a few waves in Biarritz ! Surf is spread all over France but if you ask anybody about where is the surfing capital of France it is without any doubt that it’s Biarritz !

Sylvain

Written by Sylvain Cazenave
Tue, 27 September, 2016

Vol.1 What is “SURF ” for Biarritz Local?

Vol.1 What is “SURF ” for Biarritz Local?

フランスにサーフィンが持ち込まれて60年が経過。
それから今、ヨーロッパにおけるサーフィンとはどんな立ち位置で、どんな風にみられているのか。

一回目のコラムでそんなお題をいただき、せっかくなので(?)当事者であるサーファーに聞いてみることにしてみた。答えてくれたのはフランス人、ビアリッツローカル。ただしローカルといっても移住組の方。それまではパリなどの都会で暮らし、サーフィン以外の世界も知る。サーフィンを始めたのは30歳を過ぎてからで最近は40という年齢が近づいてきたことからボードの長さを長くしようか、それとも厚みをつけようか悩んでいる様子である。

そのローカルサーファーに聞いたのがこんなシチュエーション下での話。例えば初めての人に会ったとする。
そこで「サーフィンしています」と自己紹介するとしよう。するとその初めて会った人からはどんなイメージを持たれるのか? 「サーフィン」からどんな言葉が連想されるのか?

返ってきた答えはこうである。

「サーフィン=1、旅 2、エクストリームスポーツ 3、環境」

さらに答えはこう続けられた。

「そこからサーファーとなると3つの単語からこんなキャラクターが連想される。
旅 → 好奇心旺盛でオープンマインド
エクストリームスポーツ → 一般の人とは違った存在、レアな人
環境 → 自然への理解、共存」

「サーフィンって何?」と聞かれる事はもうないが、経験したことのある人はまだ多くなく、それゆえサーフィンはヨーロッパでも少し特別感をもつという。サーファーとはよい意味で一般の人とは違う生活をし、フットワークが軽く、時間の使い方が自由でアーティスティック。どちらかというと憧れの眼差しで見られることが多いと説明を足してくれた。

リー・アン・カレン

トム・カレンの娘、リー・アン・カレンがビアリッツローカル。プロサーファーの顔とミュージシャンの顔両方を持つ。
まさにアーティスト

 

サッカーのように全員が学校で習えるようなものではなく、サーフィンにまだ特別感はあるが、しかし挑戦するヨーロッパ人は増えているように見受けられる。

サーフィンが持ち込まれたビアリッツのコート・デ・バスクには今、5つのサーフィンスクールが並ぶ。そのうちの一つでサーフレッスンを生業とする先生が近年のスクール生事情について教えてくれた。

「国別に見るとフランスはもちろんだけど、夏のバカンス期はドイツ、イギリス、スエーデン、ノルウェーからの人が多い。どこもフランスより寒くてサーフィンは身近な存在ではない。けどそれでも興味を持つ人は多く、実際トライをしにここまでくる人は年々増えている」。

サーフィンの認知度は一般レベルまで広がったが、サーファーはまだ限定される。しかし人気は上り坂でサーフィンに挑戦する人は増加を辿る。これだけみればヨーロッパにおけるサーフ事情は日本とさほど違いがないようだ。

ただしサーファーのライフスタイルにまで話が及ぶと、それは日本とは違ってくる。サーファーのライフスタイルはこちらではアートの一種と捉えられるという。

冒頭の質問に答えてくれたローカルサーファーによると、サーファーは1日の時間割、1週間の過ごし方を自身で設計。それはクリエイティブなことで、日常生活のそれ自体がアートと見なされるのだそう。そしてそれは概ね好意的。

フランスにいるとアートという言葉は芸術の意味もあるが、表現の意味も持つように思える。日本で使われるアートより意味は多数。

そのローカルサーファーは昔を振り返ってこうも教えてくれた。

「我々は自分たちが何者なのか。どこからきたのか(何人なのか)。何をしたいのか。それを常に問いかけられてきた。学校で、社会で、家庭内でも。特に60—70年代、一番自由でヨーロッパ全体が楽園のような時代に青春を過ごした親に育てられた世代は顕著。だから自分を表現することは普通のことで、クリエイトすることはむしろ得意。そしてクリエイトはアートともいえる。この時代背景はフランスに限った話でなくヨーロッパ全体としてもいえると思う」。

サーフスクール

コート・デ・バスクに並ぶ5軒のサーフスクール

 

このコラムが掲載されている当Webサイト「EURO SURF STYLE」ではヨーロッパのサーファーが作るブランドが各地から集められ紹介されている。ユーロサーフと大まかにまとめられていても、その実それぞれに違いがある、その土地の香りがするようなプロダクトもある。

このビアリッツローカルの話からすると、作り手である彼らはサーファーである前にヨーロッパ人であり、自分たちは何者なのかを常に追求し、表現してきた人たちである。その個性がプロダクトに反映されるのは当然だ。ただヨーロッパにいるサーファーが作った物、それだけでは終わらない。

買物だけでなく、各ブランド、プロダクトを通しヨーロッパの海、人、土地の個性も伺い知ることができるだろう。それはこの「EURO SURF STYLE」のサイトが持つ醍醐味の一つだと思われる。みなさんどうぞ、そこもお楽しみください。

Written by Michiko Nagashima
Tue, 27 September, 2016