From Europe Vol.9 Surf italiano

From Europe Vol.9 Surf italiano

“地中海は冬しか波が立たないが、イタリアもサーフィンできる”。

 サーフィンのイメージがあまりないイタリア。そのインパクトは大きかったが、どこか半信半疑なところもあった。

 ただ2010年代に入ると国内の波で撮影されたサーフフィルムが何本かリリースされ、2017年には初のトップサーフアスリートが誕生した。ここ数年では特にイタリアサーフに関する情報が増えている。

 イタリア人サーファーも増加しているのだろう。今やフランスの海沿いのパーキングでイタリアナンバーの車を見るのは珍しくない。フランスだけでなくポルトガルのペニシュを昨年の春に訪ねたときも、サーフスクールを主宰するローカルが「2017年くらいから急にイタリア人が増えた」と言っていた。そういえばスペインのガリシア地方、波はいいがアクセスしづらい場所にもイタリア人はいた。

 実は以前からいたのか、それとも増加中なのか、どちらにしろ大西洋側でイタリア人サーファーに出会う回数は増えている。それに対し、こちら大西洋側から地中海のイタリアへサーフトリップに行った人には出会ったことがない(サルディーニャ島のぞく)。世間の関心は高まっていくだろうに、実態は相変わらず掴めないままだった。

 イタリアのサーフシーン。それはどんな様子で、どんな人たちがそこにはいるのか。何か独自のムーブメントは起こっているのか。それを探りに現地へ飛ぶことにした。例えその時に波がなくとも、せめて現地ローカルの話だけでも直接聞ければと。

ビギナーズラック? そこに波はあった

 取材の申し入れを『Damp 』のYari氏は快く引き受けてくれた。 『Damp』とは約3年前からスタートした年2回発行のフリーマガジンだ。イタリア国内のサーフショップで手に入る他、国外ではアメリカのサンクレメンテで2カ所、東海岸では「Saturdays NYC」にも置かれている。

 そのYari氏が待ち合わせ場所に指定してきたのがトスカーナ州のリヴォルノ。トスカーナ州はイタリア国内で中部になり、州内の西部に位置するリヴォルノはティレニア海に面する県。そのなかでも南部のビーチが待ち合わせ場所だった。理由は「波があるから」ということだったが…。

 そしてそれは本当だった。波があったのだ! サイズこそ大きくはないが、波数は多く、入水しているサーファーの数もそこそこにいる。これまでの情報や、「波を当てるのは難しい」と覚悟していただけに、拍子抜けしながらも、しかし感動であった。 

Ciao!海の中でもパーキングでも常に聞こえる挨拶

 波のある場所へ見事導いてくれたYari氏。本人はその日、朝7時から入ると昼の12時までノンストップでサーフィン。朝のセッションをたっぷり堪能した後、また海に戻る仲間を横目にインタビューに答えてくれた。まずはイタリアサーフを神秘足らしめている、地中海の波、その当て方から聞いてみた。

「リヴォルノの北部にあるMarina di Pisaの下を境に、そこから南は北西スエルに反応する。今いるここもそうだけど、このエリアは1年のうち200日は波がある。ただし夏はない。シーズンは10~3月と冬の間。その条件から計算すると、ここは冬に波があるんだ。イタリアの波が“ある”けど“ない”と、言われるのは北部のリグリア海エリア(ジェノバを中心とした左右に広がる海岸線沿い)だろう。そこは南西スエルに反応し、いい波が立つのは1年のうち10日ぐらい。ロングボードならサーフ可能な日数はもう少し増えるが、確かに波を当てるのは難しい。ただそこはミラノから一番アクセスしやすいエリアでもある」

Yari氏は続ける。

「スエルが入ったとき、リヴォルノの中でもここがいいのはサーファーならみんな知っている事。だから今日は北から南まで、イタリア中から集まっている。それでもまだ少ない方。多い日は駐車場に車が置けないくらいのときもある」。

 イタリアの波はタイドによる影響がないという。だからYari氏のように5時間も入り続けることも可能になる。また波の入り方も遠くからうねりが入って割れるというよりは、フラットな状態からいきなり海面が盛り上がり、割れて波となる(大海と水の量が違うせいで、そう見えるのかもしれない)。ローカルたちは場所を熟知しているので、その盛り上がる少し手前で波待ちをする。パワーは大西洋側に比べ、おだやか。波待ち時の体力消耗度は低く、まるでプールに浸かっているよう。サーファー同士の位置もかなり近く、声を張ることなく会話を楽しんでいた。

昔の時代にカムバックするならヨーロッパは最適

「イタリアサーフの特徴…そうだね、数日前にカリフォルニアから戻ってきたばかりで記憶に新しいから例えてしまうと、カリフォルニアはイタリアからすると個人主義に感じられる。それぞれが海に行き、サーフィンし、帰る。イタリアもそれぞれで海にやって来るが、一緒に長い時間を過ごす。海から上がった後もその場にい続け、知り合いと会話を楽しむ。その間に違う知り合いに会い、紹介し合い、最終的に全員と知り合う。海にいる時間を丸ごと楽しむのがイタリア。ここでのサーフィンは、波に乗る以外にもその前後の時間までをも意味する。仕事前に2時間だけ入る、というスタイルではない。海に入り、話し、上がって、話し、ご飯を食べて、また話す。実際にコミュニケーションを取れる、海は一つのリアルソーシャルの大切な場所」

−波があるのは冬、海は一つの社会。未経験の人が気軽に始めるのを考えると、環境的にハードルが高いと思われますが、イタリアのサーファー人口はやはり増えていますか?

「サーファーは増えているし、シーンも大きくなっている。それは10年くらい前から始まり、ここ5年くらいでさらに勢いを増した。その要因はインターネットの影響が大きい。波情報サイトにWebカメラの設置。事前に波情報をより正確にチェックできるシステムはサーフィンを継続させやすくさせる。また、新しく始める人はインスタグラムなどSNSで、ファッションの面から捉えて入ってくることが多い。この流れはまだ続き、拡大していくとみている」

 Yari氏の『Damp』も雑誌だが、Web閲覧も可能になっている。「SNSは1秒の世界、雑誌は1日1枚の写真を眺めることができる媒体」としながらも今の時代に適応。ただベースはこのような考えを持っている。

「カリフォルニア(毎冬サーフィンのレベルアップの為行くようにしている)で感じたのは、昔のスタイルに戻りたがっている人がいるということ。今は家でもネットを通じて旅行気分が味わえる。けれどそれは簡単過ぎないかい? 知らない場所、情報があまり出ていない場所へ実際に行って、何かを発見するのが旅の醍醐味だと思う。それにはヨーロッパ、イタリアは適している。大切な情報はネットに流れないし、流さない。実はイタリアはシークレットポイントの宝庫。イタリアは波がないのではなく、情報は簡単に出さない。自分は昔のスタイルの方が好き。だから数の多さ、スピードよりもクオリティを大切にしていきたい」

 

今回のイタリア取材において、波があるかわからなかったので板もウエットも現地で借りればいい(大西洋側なら可能)と持って行かなかったが、実際貸してくれるサーフショップはなかった。板は借りることができても冬用ウエットのレンタルは無し。だが、その状況を見抜いたYari氏をはじめ、まわりのサーファーがウエットと板を貸すと、それも複数人が申し出てくれた。
 初対面の人間、レベルも知らない人にウエット、それに板まで貸せますか? 

 “強い資本主義がヨーロッパ社会を壊していく”というのはイタリアで聞いただけの話ではないが、フェイスtoフェイスの“信用”が強い。過去の経歴やキャリア、自身の経済効果等、つまり数字のアピールはあまり意味をなさないし、興味も引かれない。それよりも今そこの波を楽しもうとする気があるのか、フィーリングが重要視される。また“誰”の知り合いか。プリミティブとまでは言い過ぎだが、本質が試される。インスタントと反対の世界。情報は簡単に出てこないが、彼らが情報を持っていないわけではない。だからこそ、現地にいけば収穫がある。イタリアに行ったら暇はない。スケジュールの余白を多めに作っていくのがいいだろう。そしてイタリアから帰ると、その体験を誰かれ構わず発信しようとは思わなくなる。知らない大多数の誰かより、大事な人と共有したい。Yari氏のいうように、“昔の時代”が今のイタリアにはまだ充分残っている。特にサーフィンの現場では。そしてそれは大きな魅力で、イタリアサーフを神秘足らしめているのである。

(答えてくれた人)

名前 :Yari

ホームブレイク:リヴォルノ

サーフィン歴:20年。初めてサーフィンしたのは父親に連れられていった8歳のとき。そこですぐサーフィンの虜になった。そこから自分で真剣にやるようになったのが18歳のときから。

愛用ボード:様々なタイプのツインボード、動きたいときはクワッドフィンを使用

海上がりに食べたいもの:午後にもう1ラウンド控えているときは、軽い身体でいたいから、ナッツとフルーツを口にする程度。そうでなければもちろん、パスタ!

Written by Michiko Nagashima
Wed, 03 April, 2019

Viaggio Vol.6 Athens, GREECE [ギリシャ、アテネ]

Viaggio Vol.6 Athens, GREECE [ギリシャ、アテネ]

 

前回の旅を終え、ヨーロッパの歴史の奥深さに心を打たれた僕は、旅の目的地を選ぶ照準を歴史、年月、歳月に合わせ、次なる場所を絞り出した。オリンピック、パルテノン神殿、西洋文明発祥の地、地中海に浮かぶ美しい島々を数多く所有する古代ギリシャ共和国。東京都の60倍の国土面積に東京の人口にも満たない1000万人くらいの人々が暮らしている。ヨーロッパのルーツを辿り、サーフカルチャーとは無縁である地中海の小国へ、気づけば僕は降り立っていた。

首都アテネの空港から列車に乗り市街地を目指した。波に乗ることができるかどうかは一切確証は無かったが、かさばるサーフボードとウェットスーツを抱えこの国にやってきた。地中海とはいえ海はある、ということは波も立つ可能性がある。わずかな期待を抱き、大きな荷物を抱き、たいそうがっしりとした列車に乗り込んだ。車窓から眺める田園風景はとてものどかなものだった。国は違えどその営みは変わらず、畑を耕し、作物を育て、その恵みをいただくといったシンプルな流れが僕の心を落ち着かせてくれた。数十分ほど揺られると建物の数は一気に増え、アテネ中心部シンタグマ駅に着いた。

ギリシャでのサーフィン

駅の構内には数々の出土品が展示されており、この国の歴史の深さを改めて感じさせられた。ここから地下鉄に乗り換え、さらに奥深くの中心部モナスティラキ駅まで、人混みの中へサーフボードを担ぎ潜り込んでいった。アテネで暮らすローカルたちも、同様にサーフボードを担ぐ僕を、訝しげに見つめている。ミラノの人々とは違い気軽に声を掛けてくる訳では無かったが。。。

アテネでのサーフィン

わずか2駅で目的の場所に着いた。駅構外に出るとそこにはえもいわれぬ絶景が広がっていた。丘の上にそびえ立つアテナイのアクロポリス、パルテノン神殿を中心に数多くの建築物が建てられ神々が祀られている。紀元前438年に建てられたというが、その時代にこんな巨大な神殿を作る技術があっただなんて全く信じられない。高さ10メートル幅2メートルの石柱が46本、その上に装飾が施された屋根がどっしりとのっかっていた。

今までに幾度か補修されてはいるが、技術の無い紀元前にいったいどうやってこんなものが作れたのだろうか。。。しばらく自分の脳力のすべてを駆使し、思いを巡らせてはみたが、完全に理解不可能であった。「深い」この言葉に繋がる何かを持ち合わせた物事に感銘を受ける。そんな年齢になってしまった僕は、この国が非常に心地よく感じられた。

折しも財政危機が騒がれていたギリシャであったが、国内に入るとその危機はさほどではなく、変わらぬ日常を垣間見ることができた。ホテルから市場へと向かう。色とりどりの大地の恵みが、マーケットの表情を豊かにさせる。種類の豊富なオリーブが、ここはヨーロッパだと感じさせてくれる。日本とは違い肉も魚も豪快に売られている。行き交う人々の活気に煽られ、僕のテンションは上がり始めた。

ギリシャへのサーフトリップ

テイスティングで気に入ったオリーブを買い込み、次はサーフパトロールへと向かった。と言っても波がありそうな海ではなく、市内のショップへの調査だ。サーフカルチャーの発達が乏しいこの国では、サーファーの情報もポイントの情報も、あまりインターネットでは見つけられなかった。事前に得た唯一の情報としては、市街にサーフショップが一件あるだけだった。藁にもすがる思いで住所を辿り、とぼとぼ歩いていくとそこはもぬけの殻であった。古びたつぶれた商店があり、サーフショップらしき形跡もない。

途方にくれシンタグマ広場でたたずんでいると、数名のスケーターがセッションを始めた。「これは有力な情報が得られるかも!」と思い声を掛けようとチャンスをうかがっていた。間合いが詰まらないまま時間は流れ、とうとう日が暮れてきた。辺りが暗くなり、互いを認識しづらくなると何故だか大胆な行動に出ることができた。リーダー格らしき人物に歩み寄り、サーフィンに関していろいろ質問を投げかけてみた。答えは「ノー」周りの仲間にも聞いてくれているようだが、プラスになる情報は一切得られなかった。

翌日、手段を変え海岸線をバスでパトロールしてみた。紺碧の海が広がる地中海。その美しさは一級品でヨーロピアンがこぞって訪れるリゾート地。プライベートビーチも多く、アクセスは難航した。数日パトロールを繰り返し、乗れそうな波が見つけられた時には、滞在最終日を迎えていた。午後のフライトの時刻までにミッションを完了しなければ、ギリシャでのサーフィンは皆無となる。足跡を残したく始発の地下鉄でまずは終着駅に着いた。外に出るとまだ吐く息は白く寒さは厳しかった。バスの乗り換え時間まではローカルたちと同様に近くのカフェで朝食を済ませておいた。そうローカルのゲッティングアウトに習いピークを目指していった。乗り込んだバスから見えてくる景色、紺碧の穏やかな海の広がりに、少しずつ白波が混じり始めた。それはしだいに大きくなり、サーファーならわかる乗れる波になってきていた。サーフポイントとしての確証もないままその波だけを見てバスを降りた。ビーチに歩み寄ると確かにできそう、すぐさまウェットに着替えパドルアウトの準備を開始した。

アテネのサーフトリップ

小ぶりな波であったが感慨深いものがあった。これまでの道のり、この国の歴史、今までの自身の経験、すべてが重なりその色は凄味のある艶を放っていた。振り返ると目の前にそびえ立つ豪邸、そこには本物のサーファーが暮らしていると後から話で聞いた。

 

Written by Hideki Jumbo Sakakibara
Instagram : @jumbomax69
Tue, 15 January, 2019

From Europe Vol.8 Porto × La Paz

From Europe Vol.8 Porto × La Paz

 

「ポルトはロマンチックな場所に思える」。

その言葉を耳にしたのはリスボンの中心から少し外れた場所にあるレストランで。レストランというより食堂のような雰囲気の店内で、リスボンサーファーにポルトの事を何となしに聞いてみた。すると彼はフットボールのテレビ中継を観ながら、静かにそう言った。

ポルト 港湾都市

 ポルトとは、ポルトガル北部に位置する港湾都市。首都リスボンに次ぐ、ポルトガル第二の都市だが、ポルトガルの国名はポルトに由来するなど国内で古い歴史を誇る都市である。18世紀前後に建築された建物が並ぶ旧市街地は1996年にユネスコ世界遺産に登録された。坂の多い石畳を歩けば、街の至るところに古い建物とアズレージョの絵を目にする。古い建物だけなら正直ヨーロッパではそこまで珍しくないかもしれない。しかしこのアズレージョがあると、ポルトガルであることを感じさせられる。

 古いことわざに「リスボンは享楽、コインブラは歌い、プラガは祈り、そしてポルトは働く」(‘Lisbonne s’amuse, Coimbra chante, Braga prie et Porto travaille’の意訳というポルトガル各都市の性格を言ったものがある。それにならえばポルトは労働の街になるが、今のポルトからは少し想像しがたい。古いだけの建物は文化的なアトリエに再開発され、多かった空き物件(2011年の時点で18.7%の空き家率! ちなみにポルトガル全体で12.5%、リスボンは15.5%の数値だった)はデザイナーズホテルや、小さな作家たちによるプロダクトを扱うコンセプトストア、それにベジタリアンレストランなどへ転用。他ヨーロッパ諸国に比べポルトガル自体物価が安く、日照時間も多い。それにヨーロッパの各都市からポルトまで直行便で飛べ、ロンドンからは2時間半、パリから2時間、マドリッドからは1時間で行ける。週末旅行の感覚である。現に2017年にはWorld Travel Awards「最優秀デスティネーションinヨーロッパ」なるものにも選ばれている。ここ数年で行政の助けもありスピードを持って生まれ変わっているポルトは今、歴史と新しい感性が同居する街として注目されている。特にクリエイターを中心とした活気があり、文化の香りがする。

一番高い場所に建てられたのがポルト大聖堂。そこから見渡すように街が広がっている。

ポルトガル 建物

2018年の今年、FCポルトが5年ぶりポルトガルリーグで優勝! この部屋からはそれを道行く人にも知らせるかのように、ポルトガル音楽を部屋から流していた。

 物作りに携わる人たちを虜にしているポルトだが、実は海も近い。中心地から一番近いMatoshino(マトジーニョ)へは車で15分ほどで行ける。またワインで有名なドゥーロ川を渡って南下すれば、海岸線は10km以上にも及び、それぞれのビーチの名前がついている。ヨーロピアンサーファーがポルトガルへサーフトリップに行く場合、多くは南部へ直行、もしくはリスボンを通って南部かリスボン近辺のサーフポイントへ行くパターンが多く、同じヨーロピアンでもサーファーになるとポルトを知らない事も多い。しかしポルトは歴史的な街並みに、風光明媚なドゥーロ川沿い、そして海が小さな範囲で揃う、勝手よく楽しめる街である。例えば朝サーフィンをし(タイドでサーフ可能か否か決まるが)、昼に中心地へ戻り歴史地区の散策、午後はワイナリー訪問、夜が遅いのでその前に小さなショップやアートスペースを巡り、陽が落ちたら名産のワインを嗜むながら控えめなライトアップのもと魚介料理に舌鼓を打つ。ポルトは少しの移動で場面が大きく切り替わる。少ない滞在時間で存分に楽しめるポテンシャルは大きく、特に時間の貴重さを知る大人サーファーにはオススメのサーフシティといえる。

ポルトガル サーフスポット

ポルトを訪れた11月中旬はすでに冬のうねりが届き、風との相性で海は荒れ模様。ドゥーロ川の河口を挟み、北側がMatosinho 、南側がEspinhoとなる。

 そんなポルトで2012年に産声をあげたのが、EuroSurfStyle内でも取り扱いのあるブランド「La Paz」だ。お店はドゥーロ川から1本入った細い石畳の雰囲気ある通りに構えられ、店内の窓からはドゥーロ川と、川を挟んだ向かい側、ワイナリーが立ち並ぶヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアの様子を眺めることができる。夜になればルイス一世橋のライトアップに始まり、ドゥーロ川沿い一体はオレンジの光に包まれる。雰囲気はより深まり、何かストーリーが生まれるハプニングに見舞われてもおかしくない。リスボンサーファーはそれをロマンチックと形容しているのかもしれない。たまらない空気が醸し出されている場所にあることや、店の佇まいからすでにスタイルを感じられる「La Paz」。そこで今回、ポルトの街や、洋服作り、そしてサーフィンについてまでと「La Paz」に話を聞いてみた。

La Paz サーフ

レストランやお土産物がまだ多いエリアにあるLa Pazはその佇まいから異彩を放っている。通行人が思わずそれに魅かれ、足をとめ店内の様子を探る姿を何度か見た。

どうしてブランドの発祥地にポルトを選んだのでしょうか?

「ポルトは自分たちの街。そこに誇りを持っている。私たちはここで生まれ育った。街はちょうどいい大きさで海までの距離がまた、素晴らしいほどにちょうどいい。海は自然と私たちの生活の一部。もちろん洋服作りのインスピレーションの源でもある」

ここ数年でポルトの街が変わったと聞きますが、変わったところ、そして変わらないところは何でしょうか?

「確かにここ数年で街の様子はかなり変わった。年々観光客は増え、街はよりオープンに、そしてコスモポリタンになっている。文化も育っている。ポルトで味わえるグルメが人を魅了し続けている部分もあるだろう。ポルトは歴史的建造物とストリートカルチャーがうまくミックスされている。そして移動が簡単。ダウンタウンからビーチまでは15分、もしくはそれぐらいでアクセスできる。変わらないのは人。ここにいる人はみんな誠実。どんな人にも親切で、ハッピーな人たちとして知られているよ」

サーファーにとってもポルトは魅力的な街だとローカル視点でも思えますか?

「もちろん。ここには10−15kmの長い海岸線があり、いわばビーチブレイクの宝庫。そのときのコンディションに合わせて場所を選ぶことができる。選択肢の多さは自慢のひとつ。水温は常に冷たいけどね」

—La Pazについてうかがいます。お店でアイテムを手にしたとき、質のよい素材と丁寧な織り、そのクオリティの高さに驚きを覚えました。

「私たちのメインインスピレーションは大西洋、そこにいる人々やトラディション。だから根底にある心がけは快適で、長く持てるプロダクト作り。お客様もトレンドを追う人より自分のスタイルを持っている人に支持されることが多いです」

—“The sea is our Soul”Webサイトにありますが、このSeaは特定の海を指しているのでしょうか?

「このフレーズはちょっとポエムでもある。私たちは海の住人であって、海は常に私たちの内側に存在する。それでいて還る場所は海。そしてまた海から始まる。私たちの魂の中には海がある」

サーフィンについてうかがいます。いつもどこで入ってますか?

Espinho(エスピーニョ)周辺。ポルトの中心地から15km南に下ったビーチ」

頻度はだいたいどのくらいですか?

「それは状況によりけりだけど、春と夏はほぼ毎日サーフィンできる。朝早くに行ったり、仕事が終わったあとに行ったり。夜の10時くらいでもサーフィンします。でも秋と冬は波のサイズが大きくて、これまた変化が激しい。平均すれば週2回は行っているかな? 仕事があり、生活があり、サーフィンに行く。そしてそれが仕事に活きる。ポルトで生まれ育ったことに、誇りを感じずにはいられないよ」

ポルト La Paz

(答えてくれた人)

名前:Jose

ホームブレイク:Praia dos Pescadores (Espinho)。英語でフィッシャーマンの海、という意味のビーチ

愛用サーフボード:Yerxa 5’8” ツインフィン、フィッシュモデル。この板に13年間乗り続けている。今でも、そしてこれからもこの板は乗り続けるだろう

海上がりに食べたいもの:寒い日は温かい魚のスープ、夏は新鮮な魚をグリルしたもの。どちらもドゥーロのおいしい白ワインと合わせて

Written by Michiko Nagashima
Fri, 14 December, 2018

Laid-back vol5 Scottish surf and whisky

Laid-back vol5 Scottish surf and whisky

 

グラスゴー中央駅は僕が想像したものよりずっと大きく、僕が期待したものよりずっと騒々しかったが、既に何杯かのウイスキーに揺られていた僕にとってはどちらもあまり気にならなかった。アイラ島へのフライトは3時間後。で、あるならば、坂を上ってまずは老舗パブ「ポットスティル」へ。タリスカー10年のオールドボトルをドラムでオーダーしつつ、スコットランドとサーフィンの関係について適当に、あくまで適当に、そして程よく散文的に考えてみる。

The Pot Still

スコットランドにもいくつかサーフィンのスポットが存在する。Machrihanish、Corldingham,そしてThurso サーフシーズンは4月~10月、しかしながら当然寒く、冷たい。でも、全く問題はない。なんと言っても世界最高のウイスキーがあるし、世界一不味いと言われているハギスもある。(僕はそこまで嫌いではないけれど)

サーフィンに戻ればO’Neill CWC (Cold Water Classic)という大会も開かれている。意外かもしれないが、スコットランドとサーフィンは想像よりも仲良しなのだ。もしかしたらスコットランドとイングランドよりも仲良しかもしれない。

スコットランド料理 ハギス

 

そしてScottish Surfing Federationももちろん存在する。僕は個人的にこの団体が好きだ。インスタグラムのフォローもしている。何故かというと、この連盟のアートディレクションがとても気に入っているからだ。押し出し過ぎず派手過ぎず。色使いも良いし、何よりデザイン全体が骨太でScottishの気概を感じている。(あくまで個人的にではあるが)

いつか、どんな形でも良いが、彼らと仕事がしてみたい。もちろんミーティングの前にはサーフィンをしてウィスキーを飲んで、そしてハギスをつまみながら。

Scottish Surfing

出典 Scottish Surfing Federation

 

Written by Tsuyoshi Tahara
Tue, 23 October, 2018

Viaggio Vol.5 Taghazout, MOROCCO [モロッコ、タガズート]

Viaggio Vol.5 Taghazout, MOROCCO [モロッコ、タガズート]

 

滞在中波が一度も訪れなかったバルセロナを離れ空路アフリカ大陸にあるモロッコへと向かった。ここはユーロサーファー憧れの地、海流の冷たい北大西洋を離れ、常夏の海を目指してヨーロッパ各国からサーファーが集まってくる。イスラム教を崇拝するこの国では食事の制限は厳しく、酒は愚か女も禁じられ、その余波は旅人にまで影響をおよぼす。豚肉は一切お目にかかれず、酒にも当然ありつけない。搾りたてのオレンジジュースがいたるところで売られ、タジン鍋とクスクスで日々空腹を満たしていた。

モロッコ料理とサーフトリップ

乾いた大地が広がる大陸北西部の街マラケシュへと僕は降り立った。ヨーロッパ大陸とはガラリと雰囲気が変わり、灼熱の太陽に照らされた赤茶けた土壁の建物がポツリポツリと姿を現した。海とは反対に進路を東に取り、険しい道のりのアトラス山脈を走破した。そして砂漠までの中継基地となるワルザザードに停泊することとなった。

サハラへ向かう道のり

無計画な旅の始まりは我々を内地サハラへと誘った。レンタカーを運転していると突然1人の男に引き止められ、窓越しに彼が声を掛けてきた。「俺をワルザザードまで連れてってくれ」「そうすれば砂漠に連れてってやるから」と… ありもしないこの奇妙な話に興味を持ち、悩んだあげくに彼の思いを叶えてあげることにした。

現地人のおもてなし

目的地に着くと彼は、彼の叔父を紹介してくれ、立派な建物の奥の奥の部屋に招き入れ、ミントティーで丁重におもてなしを受けた。簡単に自己紹介を済ませ話を続けていくと、驚くことにその叔父が砂漠までの道のりを案内してくれると言う。天候の良い日(砂嵐の少ない日)を選び、サハラ内部へと歩みを進める。激しく揺れる車内から眺める景色は砂、砂、砂。たまに見かける植物が奇跡の産物に思える。。。

モロッコ植物

モロッコの子供達

サハラ砂漠奥地

頼りになるローカルガイドのもと一行は半日ほどかけてサハラ砂漠奥地へとたどり着いた。現地に着くと僕は、すかさず持っていた板についたフィンをプラグを回して外し取り、デューン(英語で砂丘の意)を駆け上がって砂の波をサーフした。サンドウェーブが無限に広がるこのエリア一帯。砂のみで作られる陰影が美しい景色を作り、静寂に包まれた空間は、時折吹く風が砂を舞い上がらせ、かすかな音を奏でていた。単調でゆっくりとした時間が流れている。これは何百年前も何百年後も変わらず続いていくだろう… 今では薄れてしまったこのえも言われぬ心地よい感覚を、また蘇らせたいと思ってしまうほど僕にとっては特別な場所であった。

サハラ砂漠のデューン

タガズートのラクダ

サハラ砂漠を後にし、西の海岸線に向け僕はまた車を走らせた。モロッコ随一のサーフタウンであるアガディール北部にあるタガズート、サーフショップやスクールもあり思ったより発達している。ラクダに揺られ波チェックしていくと沖の方で僅かに波がブレイクしていた。

モロッコのサーフポイント

しばらくの滞在であったが、サイズは上がることなくモロッコの波を堪能することはできなかった。しかしながら食には恵まれ、海岸線ゆえに豊富な海産物が僕の欲求を満たしてくれた。

モロッコの料理その1

モロッコの料理その2

地中海から大西洋に出ても、結局波には恵まれなかったが、異文化に触れ、人の気持ちに揺れ、極地をも体験でき、貴重な話までも聞くことができた。砂漠を案内してくれた彼の叔父は時期が来ると織物を売るため遊牧の旅に出ているそうだ。あのサハラ砂漠をラクダに乗って…

モロッコ、タガズートの旅は続く

次回につづく

Written by Hideki Jumbo Sakakibara
Instagram : @jumbomax69
Wed, 10 October, 2018